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ろうあ者や手話通訳、時には時事ネタも突っ込む20代の次世代手話通訳者×全コーダが書くブログ。基本週一更新予定。

【行事参加レポートVol.4-1】第49回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in かながわ~<イントロダクション>

 ●第49回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in かながわ~
=主催:一般財団法人全日本ろうあ連盟・一般社団法人全国手話通訳問題研究会=
2016年8月19日(金)~21日(日) 神奈川県横浜市 神奈川県民ホール横浜国立大学など

<今回の部分>
8月19日(金)

 

鈴鹿の地でみて、感じて、未来を語り合って、あれから1年。

今年は神奈川の地で人と心の和を、つなげて、ひろげる機会がやってきました。

 

二年前、福島集会(当時は全通研非会員)から三年連続で参加。

今年は4月に障害者差別解消法の施行、障害者雇用促進法の改正などにより、日本、全国において障害者制度の改革が大きく進められています。

今回の講座や分科会の大半が、この”差別”などに深く結びついている集会になりました。

 

また今年の集会は、次世代活動をするわたしたちにとっても大事な集会になっています。毎年大事とは言え、昨年発足した次世代活動委員会とともに、一年の活動はどうだったか、再確認する場でもあります。N-Action(次世代活動委員会)のつどいは、詳しくは後ほどにアップロードしますが、やはりわたしたちの活動にとっては切っても切れない関係になりつつあります。

 

8月3日、朝4時40分。自宅。

荷物をいっぱい抱え、ひとまず茨城県のJR高萩駅へ向かうことに。

というのも、8月3日から集会一日目の19日まで二週間半ちかく、大学の所用などによって東京滞在になるため、全通研集会の準備も含めて、移動することに。

 

一気に時間軸をワープして、8月19日。17時30分に予定の所用がすべて終わりました。

今回の集会の参加は、自分ひとりだけではありません。母親も初めて参加することになりました。

ひたち22号(東京18:44着)に乗車してくる母親を迎えに、東京駅へ。

そのあと帰宅ラッシュに揉まれる東海道線に乗って、横浜駅

京浜東北線に乗り換えて、ひと駅。みなとみらいの玄関口、桜木町駅に到着して徒歩10分程度。二泊お世話になるホテルに到着です。

 

今回の集会(から?)、実行委員会や旅行会社が希望する参加者のホテルを取りまとめるのではなく、参加者各自でホテルをとるという形になりました。

参加者の大半は、みなとみらい地区(桜木町馬車道・関内)、元町地区、鶴見、川崎、新横浜と宿泊地が分散する形になりました。中には東京に近いという土地柄の上で、一都三県の知人宅に宿泊するという参加者もいました。

 

一日目、関内駅近くのロイヤルホストで母親と夕食。私は、ハンバーグ定食みたなのを頂きました。

そして、薬局で\78という破格の「生茶」(大好物)をストック買い、セブン-イレブンによってアイスを買ったりして、準備完了!ホテルに戻りPCの充電もしながらそのまま就寝。

 

19日(金)終了。二日目(20日)のレポートは次回以降でお伝えします。

 

 

【行事参加レポートVol.3-1】第42回東北ろうあ青年研究討論会(1日目)

●第42回東北ろうあ青年研究討論会
=主催:東北ろうあ連盟青年部=
2016年7月30日(土)~31日(日) 宮城県大崎市東鳴子温泉郷 鳴子公民館・旅館勘七湯
[7月30日(土)](この記事で伝えるところ)
▼13:00~13:30 開会式
▼13:30~16:30 記念講演(1)「女性視点からの青年部活動について」
▼18:30~(21:00) 交流会

 

お待たせいたしました。東北青研の行事参加レポートです。

福島からは、青年部中央委員1人、東北青年部役員2人、一般青年会員2人、通研1人の合わせて6人が参加しました。

いわきから鳴子温泉というと、時間でいえば最低3時間ぐらいの移動になります。

 

当日の朝、6時頃起床。最寄り駅7時前に出ようと思ったら半分寝坊で間に合わず。

高速道路でショートカットするチート技を使い、それでも1本、30分遅れの高速バスにのって、郡山に移動しました。

10時07分のやまびこ号で古川駅に向かいました。
仙台止まりのやまびこが多いのですが、時間的にもちょうどいい時間で、盛岡行きがあり、便利だと思いました。

そのあと、古川駅に11時03分に到着。ここからは気動車に乗って、鳴子御殿湯駅を目指し、12時ちょっと前、無事会場最寄駅に到着しました。

 

最寄り駅である鳴子御殿湯駅は1面1線の小さな田舎駅です。階段がないので、とてもバリアフリーで、自動改札なるものはありません。

ワンマン列車で、列車進行方向一番前に行って、切符を渡して降りる形。

全国各地からわざわざお越しいただいた青年部の中央委員のみなさんは、この仕組がわからず、ドアが開かないことを不自然に思ったようです。

 

鳴子御殿湯駅について、東北の青年部の役員さんがお迎えに来てくれました。

駅から講演の会場は歩いて5分という便利な場所でした。が、お昼ごはんを食べていなかった私たち、到着した全国青年部中央委員のみなさんと、ご飯を食べに出かけました。

そんなこんなで13時ちょっと前になり、無事始まりました。

 

参加者は36人(プラス特別参加という子供達2人)とちょっとさびしい気持ちもありましたが、開会式では、東北ろうあ連盟青年部長さんの挨拶、大会宣言と続きました。

そのあと、13時半より、記念講演の1つ目が始まりました。

講師は、一般財団法人 全日本ろうあ連盟 青年部 中央委員の青山 裕香子 氏による「女性視点からの青年部活動について」というテーマでの講演でした。

 

大きく二部構成という形にはなりましたが、まずは青年部の紹介や活動の内容をお話し頂きました。特に、肝になったのは青年部活動の三本柱「仲間づくり、学習づくり、要求づくり」が大きな内容でした。

青年部のテーマ「未来は青年のもの」とあるように、やはり今から動き出さなければ!という意思をすごく感じる講演でした。

次に、講師の活動についてお話しいただきました。日本のみならず、海外への行事参加もあり、世界ろう連盟の青年部行事にも日本代表として参加されており、今までの活動や、今実行中の話しとかもいろいろお聞きすることができました。

 

お話しを聞いていて、心底ビックリしたものがあります。今、世界には192の国と地域があり、アジアはそのなかで約50の国と地域があります。しかし、日本でいう全日本ろうあ連盟のような協会や連盟は、アジアだけで20~30の国と地域でしかないということでした。

小さな国では、運営もとても大変だろうなぁと思い、やはり日本からアジアへ、という考え方もうなずけるようなお話を頂きました。

 

そのあと、青年部活動の三本柱を中心としたワークショップが行われ、参加者36人を4つのグループに分けて、それぞれ話しあいました。

私の班は、「要求づくり」が大きなテーマで、聞こえる人はわたし一人でしたので、ほとんど静観していたようなものでした。

班での話しでは、
参議院選挙の政見放送
▼テレビの字幕放送

といった内容が話題にあがりました。

 

参議院選挙が7月10日に行われました。多くの地域では、県単位の選挙区においては、手話や字幕放送がなく、地域でビデオ学習会といったものが行われていたと思います。

私も震災前、何年か前にビデオ学習会をチラッと見せてもらったことがあります。

班の中で、岩手県から参加された方がいて、今年の選挙ではビデオ学習会がなかったという話しを聞きました。

これで、聞こえない人が情報取得に詰まり、中には今年参政権をもらったばかりの18歳(?)20歳(?)の女性が、選挙で誰に入れていいのかわからず、結局両親に頼って両親と同じところに入れたなんていう話しを聞きました。

 

選挙公報といった新聞である程度は取得できるのではないかという話しが上がりそうですが、やはり政見放送は重要です。選挙公報は単なるまとめに過ぎず、やはり立候補者の心意気ややる気などは政見放送を通じてでないと、なかなかしれないところがあります。

私は都合により今回の選挙は、期日前投票のため選挙公報しか見ませんでしたが、(全国比例は時間のあるときにNHKのを見てました。)やはり、聞こえない方の参政権の獲得にはまだまだ大きな課題があると感じました。

 

また、聞こえないこどもたちがよく見るアニメにも字幕が入っていたり、入ってなかったりといった声などもあり、聞こえない子供達が楽しめるには字幕放送が欠かせません。しかしながら、映画とかになると、字幕の付与を拒む映画監督がいるという話しも聞き、映画監督らしいこだわりにすぎないと思いますが、やはり聞こえていても聞こえていなくても、娯楽を楽しむ権利は平等です。決して、聞こえないなら見なければいい、といった安易な考えに陥るのは、偏見ともいえます。

 

他の班では、学習会の参加条件はどこまで許されるのか?や、仲間を増やしていく機会をどうやって作っていくかといった話しが広がり、東北の青年部のみなさんの気持ちは熱い、まさに東北魂全開の討議があったことを印象づけられました。

 

そのあと、記念講演を終えて、会場から歩いて5分の旅館勘七湯に移動。

会場から5分歩くだけでも汗ダラダラで、少し部屋で休んでから、鳴子温泉を堪能しました!

交流会では、手作り料理が振る舞われ、大きな交流になりました。

 

特に、今回中央委員のみなさんとお話する機会があったことで、いろいろな話しをさせていただきました。中央委員のみなさんそれぞれが思っているやりたいこと、私がやりたいと思っていること、いろんな熱い話しを交わしました。お酒が入っていたこともあって、東北の青年会員のみなさんにもぶっべらぼうにいろんな話しをしました。すごく熱い、本当灼熱の地獄のようにべらべら話していたと思いますが、それだけ伝えたい思いが強かったんだろうなぁと思います。どこでスイッチが入ったのかはわかりませんが、多分ワークショップのとき、熱い議論を交わしていた参加していたみなさんの姿を見て、負けじと火を噴いたんだと思います。

 

ビールは缶ビールでストックがありましたが、チューハイ類はあっという間に底をつき、最後はアップルジュースを片手に様々な話しをしました。

気がつけば21時、22時、23時、24時、1時、2時・・・

時間を負うごとに交流会会場から人の数は少なくなっていきましたが、最後に成るについて、一つの集団となり、丸くなっていろんな話しをしていました。

 

今回、東北青研に参加して、交流会で参加した皆さんと話したことの中に、一つ重要なことを僕は中心的に話しました。

それは、将来を担う手話通訳者が勉強できる、学習できる機会をもっと作らなければいけない、ということでした。

お調子者がこんな話しをしても仕方ない気は正直話す自分でもわかってはいるつもりなんですが、今やらないで誰がやるんだという話しにもなってきます。小心者ですから、心臓はバクバクです。普段スラスラと手話ができるのに、その手も震えるほどでした。でもそれだけこの思いは強いです。

 

特に何回も繰り返した言葉があります。「10年後、20年後、30年後、手話通訳者は誰がやるのか」ということです。

今、やらなければ、今青年部として活動しているろうあ者も情報獲得の手段を減らします。手話通訳という職業はろうあ者のためだけではありません。読み取り通訳をする人がいなければ、社会で大きなダメージを喰らいます。

将来を担う手話通訳者の問題は、聞こえる人だけが担う問題でもありません。聞こえない人も一緒に考えてこそ、”両輪”という関係が生まれるのです。

 

例えば、車があって、右側だけ、もしくは左側だけしかタイヤがなかったらどうでしょう。車のディスクブレーキが地面に乗っかり、エンジンを付けてアクセルを踏んでもブレーキを傷つけ、ボティは痛むのです。

簡単に表現するなら、タイヤは聞こえる人と聞こえない人、ブレーキは社会で聞こえない人の理解を頂いている方、ボディは社会全体です。

タイヤが簡単にはずれてしまったら車は走れません。未来には進めないのです。

 

今、青年部、そして通研がともに、次世代を担う手話通訳者の問題をどこまで考えているかは知りません。私は中央委員でもないですし、通研の上層部でもないからです。

でも一つ言えるのは、このままでは手話通訳という仕事をする人は確実に減る、僕はそう思うのです。

 

全国では、N-Action合宿のように、次世代を担う手話通訳者自身が学ぶ機会はあります。しかしながら、次世代のことを、年齢も関係なしに話し合える機会は今のところ少ないとしか言いようがありません。ぜひ東北から一緒に考える機会ができればなと僕はいつもそう思っていたりします。だからその思いを伝えることにしました。

 

もしかしたら、来年変わるかもしれない。でも来年も変わらないかもしれない。何かアクションを起こしてこそだと思っています。自分も他力本願ではいけません。自分からも少しずつ前に進めていくことが最重要であると考えています。

 

まずは二年後を目標に。最近の私の口癖ですが、2年後は全青研が秋田で、東北青研は福島県で開催されます。そのときまで、今からどこまでできるのか。自分が自分にまけないための勝負です。

 

そんな熱い話しをして、翌朝2時。流石にまぶたが重く、これにて交流会は解散しました。

 

いろんな話しをしましたが、コミュニケーションにとって大事なことは一体なんでしょうか。相手を思いやった話しをすることももちろん重要ですが、言いたいことが言えなければコミュニケーションは成り立ちません。自分と一緒に将来、一緒に活動をしていく”友”であるからこそ、熱い話しを交わすのも悪く無いはずです。そう思うことができました。

 

案の定、これで4000字をゆうに超えていますので、この記事はここまで。

【行事参加レポートVol.2-2】手話を広める知事の会設立イベント(午後)

引き続き、午後です。午後は手話言語フォーラムという形で行われました。

 

まず、支援団体の挨拶として、日本財団の理事長あいさつがありました。

「手話言語法」の必要性を改めて感じる、感じさせられるような講演でした。

あぁ、そうだなぁと感じさせられたところが常々ありましたが、特に感じさせられたのは、今の世の中が障害者にとって優しいと思えるようなまちづくりではないと感じました。

つまりどういうことかというと、例えばスロープを話に上げるなら、階段のあるところを削って、スロープを作る、つまり取ってつけたような形は、健常者に合わせることじゃないのかということだと思うのです。

障害を持った人が合わせる社会はやはりどうみてもどこかおかしいと思いますよね。

 

また、全国1788全自治体で手話言語法の制定に関して、法整備を求めるという主旨で答えを出したこと、これはやはり避けられない事実なのです。

 

そのあと、国会議員の皆様がたの挨拶がありました。名前は出しませんが、どこか意識が離れているような議員さんもいるなぁと心の中で感じてしまいました。

続いて、手話言語条例制定県である、群馬県や埼玉県、沖縄県、さらには神奈川県からの発表がありました。

どの県の担当者さんもおっしゃられていましたが、やはり「鳥取県には劣るが」という声が繰り返されていたのを強く印象づけます。やれることとやれないこと、やはりあるというよりも多いとは思いますが、それだけ鳥取県の施策は小さな一歩が大きいのだなと改めて感じさせられました。

条例制定はゴールではありません。広く県民に周知させて、理解を図ることが大事だと思います。そして、行政とともにやれることはやる、フィードバックして、よくないものは一緒に頑張っていい方向に持っていく。この繰り返しであると考えています。

もちろん条例制定を願うばかりです。願わくば全47都道府県、23の特別区、1718の自治体で条例制定されたら、この世の中は間違いなく大きく変わるものだと期待します。

 

その後、読売新聞大阪支社の編集委員さんによるミニ講演。

内容がすばらしく分かりやすかったところが印象深いと感じました。

特に、健常者と障害者を見立てて解説していたところ、二つのいわば社会が共存していくためには、お互いがお互いの弱点を理解しあって、お互いがお互いの使いやすい受け皿を作ればいいんだと話していて、さらに納得しました。障害をもったから、ではなく、障害がある人もない人も同じように文化を尊重していく、その一つに手話言語条例や法整備があるものだと感じました。

気がつけばという話にほかなりませんが、日本はまだデフリンピックの開催がありません。デフリンピックを日本で開催すれば日本国内は手話ばかりになって、政府もいいかげん目がさめるだろう、そういう話だったのですが。ちょっと考えてみました、という話から始まり、夏季大会は鳥取で、冬季大会は長野でやってみたらどうですかという話。こればかりは会場も笑いに包まれました。

 

それから、全国手話言語市区長会事務局長さんの話があり、取り組みについて説明がありました。

市区長さんからもやはり手話の魅力や文化の尊重があるという話が中心でした。広めなければならない。そう考えていますと話されている、その言葉には強い意思が隠されているなと感じました。

 

最後に、一般財団法人全日本ろうあ連盟石野理事長の総括があって、このフォーラムは締めくくられました。

予定時間よりも少しオーバーでしたが、限られた百数十名の手話関係者が集まったこのイベントは、決して無駄なものではなく、小さいようで大きい一歩でした。

手話言語法や手話言語条例は今の手話関係者にとって大切なものです。ですが、今だけの話ではありません。先輩方が築き上げた、そして否定され続けながらも必死に護り抜いた、いわば死んででも守りぬかなければいけない文化、言語です。

近頃、やっとわたしたちの願いどおり手話の魅力が、聴覚障害者や手話関係者のみならず、理解の域を超えて、知れ渡っています。その一歩が大きな差別是正へと結びつくものと確信しています。

大きな確信が、いつか革新に変わるように、これからも気を緩めず、運動を続けていくことが小さな努力であり、それが積み重なって、大きな努力として結びつく。その日を待ち続けて、共に取り組んでまいりたいと思いました。

 

福島県は、今まで「国の対応をみながら」という極めて消極的な対応を続けています。このことは前回でも書きましたが、今回この知事の会の名簿には記載されています。福島県の参加者としても、強く福島県の手話言語条例、まずは制定を願ってやみません。

 

大きな一歩は小さな一歩の積み重ねでもいいんです。最初の一歩が決して大きくないといけないなんてそんなのはありません。最初の目的地まで、みんなで舵を切っていきましょう。

 

(おわり)

【行事参加レポートVol.2-1】手話を広める知事の会設立イベント(午前中)

●手話を広める知事の会設立イベント・手話言語フォーラム

2016年7月21日(木) 東京都千代田区 参議院議員会館1階講堂
▼9:00~11:30 手話を広める知事の会 設立総会
▼13:00~15:30 手話を広める知事の会設立記念・手話言語フォーラム

<今回もひじょーに長ったらしいので、午前中と午後に分割します。>

 

時は、2016年6月30日前後まで遡ります。こまめに情報を得たいと思っている私、いや、暇だからサーフィンの片手間で、全日本ろうあ連盟のホームページを見ていました。

その時、「7月21日に設立するから、手話言語フォーラムやるぞ!」という文を見まして、これは行きたいなと。そう思っておりました。

しかしながら、木曜日は3限のみですが、大学があって、「あ、これはどうしようかな」と。

 

何を隠そう、翌週7月28日(木)は試験なわけです。試験一週間前に休むわけにいかんだろう?と思っておりましたが、担当教授に聞いてみたら、意外とあっさり。
「いってきていいよ」と背中を押してもらえました。

 

まぁそれで、行く気になっていたのですが、肝心の参加申し込みを忘れていたところ。
協会締め切りの7月12日(火)の夜にあわててメールで参加申し込み。

いや~、協会の方にはご迷惑おかけしました><

それで、参加させてもらえることになりました。

 

これで当日までバッチリ!と思っていたのですが、ところがどっこい、参議院議員会館9時30分とは・・・と。

というのも、最寄り駅の始発では間に合いません。上野駅8時55分着。乗り換えを頑張ったとしても朝のラッシュ直後ですから、平常通りに動くことも思えない。30分かかる時点で、別の手段で行くことを強いられました。

それで、高速バスです。家の最寄りの「いわき勿来インター」からは30分間隔で東京行きが出てます。が、こっちはこっちで渋滞の心配があって・・・。とりあえず渋滞を加味して予約を取りました。

 

4時20分頃に目を覚まし、5時20分に家を出ました。
5時37分いわき勿来インター発の高速バスで、東京を目指します。

順調に進んで・・・が、埼玉県の三郷JCTで渋滞に巻き込まれ、
結果7時52分着予定が8時30分前の到着。ここまで遅れるとは思いもせず。

というのも、降りるはずの停留所は、首都高を比較的短距離しか走行しないことで、渋滞なんて限定的だと思っていたのです。

実際何回か高速バスを利用していますが、今まで乗ってきたのでここまで遅れることはありませんでしたから。

それで、神経を磨り減りながら、地下鉄千代田線に乗り込みました。

いやいや、本当に参りました。こればかりは。

 

福島県のろうあ協会の事務局長さんから連絡をいただいておりまして、
9時前には来てほしいと連絡を頂いていたのです。

大手町駅で千代田線から半蔵門線に乗り換え、永田町駅では有楽町線のホームを端から端まで歩かされ、9時15分、やっと参議院議員会館につきました。

 

セキュリティチェックを受け、受付を済ませてセキュリティキーをもらって、いざ講堂へ。

 

座席指定制で福島は福島で固まっていましたので、遅れてすいませんと謝りながら座らせていただきました。福島からは5人が参加しました。ろうあ協会から3人、手サ連の会長さん、そして私ということで、福島通研からの参加者は私一人でした。息をつく間で9時30分になり、開会されました。

 

(前置きが長いのはいつものこと)

 

今回のイベントは、大きく二つにわけられて行われました。午前中は「手話を広める知事の会」設立に関するイベントで、いわば総会と呼ばれるものでした。
それに対し、午後は、「手話言語フォーラム」と題し、手話言語条例制定地域の事例発表などが主な内容でした。

 

まずは、「手話を広める知事の会」設立総会。

「手話を広める知事の会」の発起人でかつ、会長に就任する鳥取県平井伸治知事でしたが、交通渋滞による遅れ、多分羽田空港からいらっしゃったんだと思うのですが、それで遅れるという発表があって、到着次第挨拶ということになりました。

それに先駆けて、入会知事の紹介がありました。47都道府県中33の知事が会員になり、この「手話を広める知事の会」を盛り上げるということでした。

 

総会議事に移り、会則、さらに役員が賛成多数によって可決されました。

来賓の紹介があり、そのあと、全国手話言語市区長会会長で北海道石狩市の田岡市長と、(一財)全日本ろうあ連盟の石野理事長による応援の挨拶がありました。

 

設立総会の締めは、宣言文の発表で、長野県の阿部知事と、長野県のろうあ協会の会長さん、副会長さんの3人で宣言文の発表をすると、会場は大きな拍手が沸き起こりました。

 

そのあと、設立イベントが開かれました。

ここでは、記念講演と基調報告をメインに行われました。

まず、記念講演では、日本財団笹川陽平会長による講演でした。
テーマは「世界の手話事情と手話言語条例の意義」でしたが、内容は「手話言語法の必要性」という話が大きなところだったかと思います。

来賓に国会議員の先生方がいらっしゃっていましたが、堂々と皮肉っていたということしか頭になかったです。これは良いか悪いかという話ではなく、事実だと思っています。

戦後の日本の歴史において、同一の趣旨による意見書が、1700を超える全国の全部の自治体が採択したというのに、なぜここまで進まないのか。なみなみならぬ思いを語っていただきました。

公用語にしろとは言っていない」、この言葉に何かが詰まっている気がしました。つまりは、私たちの活動そのものは決して大きすぎる夢ではないのだと思います。

日本財団というと、やはり表では、ミャンマー支援やハンセン病を持った患者さんの支援にあたっていることのほうが強い気がします。震災当時から東北三県を中心とした被災した聴覚障がい者の支援等もあって、すでに5年以上のご支援をいただいていることに、心から御礼を申し上げたいです。

手話言語法が制定するその日まで、その先も支援していきたいというお言葉をいただき、改めて手話関係者の一人としてもっと加速した運動をしていかなければならないと強く感じました。

 

そのあと、基調報告として、全日本ろうあ連盟の久松事務局長の報告でした。

手話言語条例が日本で初めてできた場所、鳥取に触れていました。

鳥取で手話言語条例を作って欲しいと、連盟からお願いに上がった時、平井知事は少し間があったが、「わかりました」という返事で進んでいったこと。「なんで?」とか、「必要性は?」とかそういった質問がなかったこと、やはり手話を囲む環境が大きく変わっている証拠なのかもしれません。

 

設立イベントの最後には、平井知事による鳥取県の条例による事例発表があり、主に「あいサポート」の拡大、言語条例によってできた支援などの発表がありました。

 

時刻は11時を回りましたが、そのあと記念撮影を得て、記者会見がありました。

 

質疑で平井知事に「この33という数は想定以上なのか、それとも少ないのかどうかお聞きしたい」という質問がありました。

平井知事としては「驚異的な数字」の6文字でお答えしていました。その言葉というのは、私たち手話関係者としても、本来はそうであってほしい、が今の現状を見るならば、本当に平井知事と同じ答えであろうかと思っています。

 

午前中の総括にはなりますが、6月に市区長会が設立され、そして今月は知事の会も設立されました。つまり、それはどういうことを意味するのかというと、地方の自治体はそれなりに手話言語法の必要性を認めているということです。意見書の採択でも、認められているからこそ採択されているのでしょうが、それ以上の手話言語法の必要性があるからこそ、お忙しい時間を使ってでも、市区長さん、また知事さんが地域の垣根を超えてつながって、現実として訴えかけている。これは数年前のろうあ運動では多分誰も想像しなかったんだと思います。

しかしながら、裏を返せば、それだけ国の対応は遅い、鈍いということです。
福島県では、まだ県レベルでの言語条例はできていません。県の回答も極めて消極的です。しかしながら、県としてはこの知事の会の会員には入っています。それだけ、国の対応は鈍いということなのでしょう、いや、そうだと思います。

 

私たちは昨年の夏、まさに残暑厳しい東京で、千人単位の仲間たちを集って、日比谷公園から国会議事堂まで歩いて行って、国会議員さん、また世の中に手話言語を訴えかけました。あれから来月で一年になります。いい顔だけの議員さんは信じたくありません。あの日の”約束”である、「一緒に頑張ってやっていきましょう」、いつかその言葉が現実になりますように、私たちもこれから活動を展開していかなければいけません。

 

'You became good recently'

三日坊主もいいところです。ついには1ヶ月も空いてしまいました。

 

今日はN-Action京都の班長さんがお誕生日とのこと。
おめでとうございます。

全通研福島集会で出会って、まぁあのいろいろあった(別にやましいわけでもありません)こともあって、行事で顔合わせるといろいろお世話になっていたりします。

これからもご活躍をお祈りもうしあげます。

 

タイトルは、最近、先輩の手話通訳者、さらにはろうあ者に言われる言葉です。

最近地元の福島県手話通訳問題研究会いわき班の例会(月2回/第2・4金曜日の夜)に行くと、私も聞き取り表現の練習が高確率で入るようになりました。

私は父親・母親ともに聴覚障がいの元で生まれてますので、全コーダになりますが、度々苦戦することもしばしばあったりします。

ただ、練習で絶対的に忘れてはいけないのは、わからない単語においては表現をやめないということです。ミスをしたとしてもなにかで表現するということを心掛けています。

例えばなのですが、「一般社団法人」という表現、片方の手は一を表し、もう片方の手は開いた4指を横にして表現します。が、こないだ私は片方の手が一と表し、もう片方は社会を表現してしまったのです。頭のなかからカラッと消えたようで、慌てて表現したのですが、なにかしら伝えるという観点では合ってるのかなと。

 

ともかく、最近言われるようになって少しうれしいなぁと思う気持ちが隠せないようになってきました。糧はもらうんじゃなくて作るもんだなぁと改めて思い知らされたところでした。

 

今日(7月2日)、明日、来週の週末と、大学の研究発表兼講義聴講のため、泊まり込みで東京です。暑くなりそうですが、みなさんもお身体気をつけてください。

 

P.S.Facebookにも告知してありますが、早くて今月末、遅くても来月末には、なにかしらの重大告知、それほど重大でないかもしれませんがなにかしらの告知があると思います。っていうか、あります。まだ言えないのですが、別に結婚するわけでもありません。人生の重大イベントではありませんのであしからず。

Importance of Infomation Accessibility?

初投稿。自己紹介は追々やっていくとして本題に入ります。

今日6月1日は、安倍首相の記者会見がありました。
毎回毎回記者会見を見るときは絶対(ほぼ100%の99.9%)NHKにセットします。

そう、左上の手話通訳者を見るんですね、安倍首相の表情見ていても何にもならないので、
手話通訳者の表情を見るようにしてます。

これは、一ついうならば勉強のようなものかなと思うのですが、これが本題でもないです。


最近、NHKは何かの記者会見をライブでネット配信するようになりました。

www3.nhk.or.jp

twitter.com

配信が始まると、Twitterで「【ライブ映像:○○】」とヘッダーが付きます。

 (Tweet内のリンクは切れてます)

基本(というか)、当たり前なのですが、ネットのほうが数十秒ほど遅れて配信されます。地上波だとデフォルトの遅延が2~3秒であることを考えると、あくまで一時的なものであるという考えではあると思います。

となると、情報保障はどこまで追いついているのだろう?と考えてしまうのですが、一応TVの画面と一緒にキャプチャーすることができました。

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(←左側:ネット配信、→右側:地上波手話通訳・リアルタイム字幕付き)

 

一目瞭然ですが、手話通訳や字幕などはネット配信のほうには付いていませんね。

ネット配信を見ると、一見安倍総理が右側にずれているのが確認できますから、手話通訳(のワイプ)を付けない状態だと、ネットも地上波も同じカメラなのだとは思います。

あくまで推測の域を超えないのですが、こういう場においての手話通訳ももちろん仕事として身分保障されているのだろうから、手当などが付くんでしょうけど、その関係でネットのほうには流さないんですかね?

 

クローズドキャプションがネットの世界で実現できない(ことはないとは思うのですが)にせよ、手話通訳者のワイプはせめて見てほしいのかなと思います。

ただ、スマホとかでみても画面小さくて読み取れないのかもしれないですけどね、タブレットやPCで見る分には普通に読み取れないわけでもないとは思うので、NHKさんぜひ考えて下さい。

 

P.S.毎回思うのですが、手話通訳ワイプを付けないで、安倍総理の至近に立って手話通訳すれば、聞こえない人も視点移動せずに済むし、手話通訳は大きくなるし、一石二鳥なんですけど、これで満足なのかな・・・?私はまだまだだなあと思います(ニュージーランドの手話通訳の様子の写真を見ながら)。