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ろうあ者や手話通訳、時には時事ネタも突っ込む20代の次世代手話通訳者×全コーダが書くブログ。基本週一更新予定。

【行事参加レポートVol.2-1】手話を広める知事の会設立イベント(午前中)

●手話を広める知事の会設立イベント・手話言語フォーラム

2016年7月21日(木) 東京都千代田区 参議院議員会館1階講堂
▼9:00~11:30 手話を広める知事の会 設立総会
▼13:00~15:30 手話を広める知事の会設立記念・手話言語フォーラム

<今回もひじょーに長ったらしいので、午前中と午後に分割します。>

 

時は、2016年6月30日前後まで遡ります。こまめに情報を得たいと思っている私、いや、暇だからサーフィンの片手間で、全日本ろうあ連盟のホームページを見ていました。

その時、「7月21日に設立するから、手話言語フォーラムやるぞ!」という文を見まして、これは行きたいなと。そう思っておりました。

しかしながら、木曜日は3限のみですが、大学があって、「あ、これはどうしようかな」と。

 

何を隠そう、翌週7月28日(木)は試験なわけです。試験一週間前に休むわけにいかんだろう?と思っておりましたが、担当教授に聞いてみたら、意外とあっさり。
「いってきていいよ」と背中を押してもらえました。

 

まぁそれで、行く気になっていたのですが、肝心の参加申し込みを忘れていたところ。
協会締め切りの7月12日(火)の夜にあわててメールで参加申し込み。

いや~、協会の方にはご迷惑おかけしました><

それで、参加させてもらえることになりました。

 

これで当日までバッチリ!と思っていたのですが、ところがどっこい、参議院議員会館9時30分とは・・・と。

というのも、最寄り駅の始発では間に合いません。上野駅8時55分着。乗り換えを頑張ったとしても朝のラッシュ直後ですから、平常通りに動くことも思えない。30分かかる時点で、別の手段で行くことを強いられました。

それで、高速バスです。家の最寄りの「いわき勿来インター」からは30分間隔で東京行きが出てます。が、こっちはこっちで渋滞の心配があって・・・。とりあえず渋滞を加味して予約を取りました。

 

4時20分頃に目を覚まし、5時20分に家を出ました。
5時37分いわき勿来インター発の高速バスで、東京を目指します。

順調に進んで・・・が、埼玉県の三郷JCTで渋滞に巻き込まれ、
結果7時52分着予定が8時30分前の到着。ここまで遅れるとは思いもせず。

というのも、降りるはずの停留所は、首都高を比較的短距離しか走行しないことで、渋滞なんて限定的だと思っていたのです。

実際何回か高速バスを利用していますが、今まで乗ってきたのでここまで遅れることはありませんでしたから。

それで、神経を磨り減りながら、地下鉄千代田線に乗り込みました。

いやいや、本当に参りました。こればかりは。

 

福島県のろうあ協会の事務局長さんから連絡をいただいておりまして、
9時前には来てほしいと連絡を頂いていたのです。

大手町駅で千代田線から半蔵門線に乗り換え、永田町駅では有楽町線のホームを端から端まで歩かされ、9時15分、やっと参議院議員会館につきました。

 

セキュリティチェックを受け、受付を済ませてセキュリティキーをもらって、いざ講堂へ。

 

座席指定制で福島は福島で固まっていましたので、遅れてすいませんと謝りながら座らせていただきました。福島からは5人が参加しました。ろうあ協会から3人、手サ連の会長さん、そして私ということで、福島通研からの参加者は私一人でした。息をつく間で9時30分になり、開会されました。

 

(前置きが長いのはいつものこと)

 

今回のイベントは、大きく二つにわけられて行われました。午前中は「手話を広める知事の会」設立に関するイベントで、いわば総会と呼ばれるものでした。
それに対し、午後は、「手話言語フォーラム」と題し、手話言語条例制定地域の事例発表などが主な内容でした。

 

まずは、「手話を広める知事の会」設立総会。

「手話を広める知事の会」の発起人でかつ、会長に就任する鳥取県平井伸治知事でしたが、交通渋滞による遅れ、多分羽田空港からいらっしゃったんだと思うのですが、それで遅れるという発表があって、到着次第挨拶ということになりました。

それに先駆けて、入会知事の紹介がありました。47都道府県中33の知事が会員になり、この「手話を広める知事の会」を盛り上げるということでした。

 

総会議事に移り、会則、さらに役員が賛成多数によって可決されました。

来賓の紹介があり、そのあと、全国手話言語市区長会会長で北海道石狩市の田岡市長と、(一財)全日本ろうあ連盟の石野理事長による応援の挨拶がありました。

 

設立総会の締めは、宣言文の発表で、長野県の阿部知事と、長野県のろうあ協会の会長さん、副会長さんの3人で宣言文の発表をすると、会場は大きな拍手が沸き起こりました。

 

そのあと、設立イベントが開かれました。

ここでは、記念講演と基調報告をメインに行われました。

まず、記念講演では、日本財団笹川陽平会長による講演でした。
テーマは「世界の手話事情と手話言語条例の意義」でしたが、内容は「手話言語法の必要性」という話が大きなところだったかと思います。

来賓に国会議員の先生方がいらっしゃっていましたが、堂々と皮肉っていたということしか頭になかったです。これは良いか悪いかという話ではなく、事実だと思っています。

戦後の日本の歴史において、同一の趣旨による意見書が、1700を超える全国の全部の自治体が採択したというのに、なぜここまで進まないのか。なみなみならぬ思いを語っていただきました。

公用語にしろとは言っていない」、この言葉に何かが詰まっている気がしました。つまりは、私たちの活動そのものは決して大きすぎる夢ではないのだと思います。

日本財団というと、やはり表では、ミャンマー支援やハンセン病を持った患者さんの支援にあたっていることのほうが強い気がします。震災当時から東北三県を中心とした被災した聴覚障がい者の支援等もあって、すでに5年以上のご支援をいただいていることに、心から御礼を申し上げたいです。

手話言語法が制定するその日まで、その先も支援していきたいというお言葉をいただき、改めて手話関係者の一人としてもっと加速した運動をしていかなければならないと強く感じました。

 

そのあと、基調報告として、全日本ろうあ連盟の久松事務局長の報告でした。

手話言語条例が日本で初めてできた場所、鳥取に触れていました。

鳥取で手話言語条例を作って欲しいと、連盟からお願いに上がった時、平井知事は少し間があったが、「わかりました」という返事で進んでいったこと。「なんで?」とか、「必要性は?」とかそういった質問がなかったこと、やはり手話を囲む環境が大きく変わっている証拠なのかもしれません。

 

設立イベントの最後には、平井知事による鳥取県の条例による事例発表があり、主に「あいサポート」の拡大、言語条例によってできた支援などの発表がありました。

 

時刻は11時を回りましたが、そのあと記念撮影を得て、記者会見がありました。

 

質疑で平井知事に「この33という数は想定以上なのか、それとも少ないのかどうかお聞きしたい」という質問がありました。

平井知事としては「驚異的な数字」の6文字でお答えしていました。その言葉というのは、私たち手話関係者としても、本来はそうであってほしい、が今の現状を見るならば、本当に平井知事と同じ答えであろうかと思っています。

 

午前中の総括にはなりますが、6月に市区長会が設立され、そして今月は知事の会も設立されました。つまり、それはどういうことを意味するのかというと、地方の自治体はそれなりに手話言語法の必要性を認めているということです。意見書の採択でも、認められているからこそ採択されているのでしょうが、それ以上の手話言語法の必要性があるからこそ、お忙しい時間を使ってでも、市区長さん、また知事さんが地域の垣根を超えてつながって、現実として訴えかけている。これは数年前のろうあ運動では多分誰も想像しなかったんだと思います。

しかしながら、裏を返せば、それだけ国の対応は遅い、鈍いということです。
福島県では、まだ県レベルでの言語条例はできていません。県の回答も極めて消極的です。しかしながら、県としてはこの知事の会の会員には入っています。それだけ、国の対応は鈍いということなのでしょう、いや、そうだと思います。

 

私たちは昨年の夏、まさに残暑厳しい東京で、千人単位の仲間たちを集って、日比谷公園から国会議事堂まで歩いて行って、国会議員さん、また世の中に手話言語を訴えかけました。あれから来月で一年になります。いい顔だけの議員さんは信じたくありません。あの日の”約束”である、「一緒に頑張ってやっていきましょう」、いつかその言葉が現実になりますように、私たちもこれから活動を展開していかなければいけません。