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ろうあ者や手話通訳、時には時事ネタも突っ込む20代の次世代手話通訳者×全コーダが書くブログ。基本週一更新予定。

【行事参加レポートVol.4-2】第49回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in かながわ~<2日目/C講座Ⅰ>

 ●第49回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in かながわ~
=主催:一般財団法人全日本ろうあ連盟・一般社団法人全国手話通訳問題研究会=
2016年8月19日(金)~21日(日) 神奈川県横浜市 神奈川県民ホール横浜国立大学など

 

<今回の部分>
8月20日(土) C講座Ⅰ

 

横浜市桜木町のホテルで宿泊して朝。

朝は6時半頃起床し、髪を整えて、それから着替えて、午前7時。

ホテルの朝食を食べに。ビュッフェスタイルでした。

 

今回のホテルは、母親と二人、二泊合わせて4万円超えというちょっとリッチなホテルでした。ビジネスホテルとはかけはなれたようなホテルでしたので、朝食は期待していたのですが、思ってより案外と言うか。なんか、微妙でした。

元々朝食付きプランを頼んでいたのですが、微妙というより、割に合わないなぁと思いました。結構ホテルによってまちまちですよね。美味しいところは美味しいのですが。

 

まず、朝食なのにご飯がない!これにはびっくりしました。

フレンチトーストが美味しかったので・・・ご飯代わりに。

 

ご飯を済ませ、部屋に戻り、歯磨きをしてホテルを出ます。

桜木町、横浜と経由して、天理ビル前のシャトルバス乗り場へ。

 

時間が時間で一番後ろの方に立ち席で入りましたが、「つめてください!」という実行委員会の声でどんどん億に・・・。

気がつけば、私の背より天井が低いところに入り、終始前かがみの体制になってしまいました。よっかかるところがあったのでなんとかもちましたが、もう入れないのに10分ぐらい待たされてちょっとおこ。

そうこうしている間に、バスは出発し、横浜国立大学へ。

受付を済ませて8時50分頃にはC講座の会場である経営学部の講堂へ。

 

9時30分、始まりました。

C講座の会場は、大勢の参加者で埋まりました。福島からは私含めて4人が参加していました。

まず注意事項のお話があり、残念なことにカメラでの撮影が禁止となりました。
カメラを持っていた自分はちょっとショックというか、残念ですが仕方ありません。

 

そして、早速講演に入りました。

C講座のⅠ講座目は、『言語権とは〜外国籍県民支援から見えるもの〜』と題し、講師は慶応義塾大学名誉教授の古石 篤子 名誉教授によるお話でした。

まず、講師の自己紹介から始まりました。講師は、流通経済大学(茨城県)で初めて教鞭を取ったのち、慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパス、通称SFCで1990年から24年もの間、携わってこられました。講師の授業などにおいて、学生は多くの影響を受けたらしく、「コミュニカティブ・アプロチのジャンヌ・ダルク!」と呼ばれることもあったそうです。近年では、2年前の2014年から慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスと上智大学でそれぞれ一コマ講義を持っているほか、聴講生として日々授業を聴講しているそうです。

 

もともとは、フランス語を教えてこられたそうです。そのほかにも小学校の他言語活動にも携わってこられて、現在も続けているそうです。現在、思うことは、やっぱり日本における外国語教育のメインが英語であること。外国には英語しかない、英語だけが外国語であるという先入観をもつ子供も増えてきていることを残念に思うと話されていました。最近では、駅の表示には、中国語の簡体語、さらには韓国語などもあったりするので、子供達がそういったことに自然に気づいて欲しいということも話されていました。

 

先生が、他言語活動に携わったきっかけというのが、外国につながる子供達の日本語教育と学習支援。その困難さと混乱さがきっかけで、取り組んでいらっしゃいます。

ろうの子どもたちの教育について。あるとき、人権救済の申し立てをしたとき、友人のジャーナリストに「面白い会合があるから」と騙されて飛び込んだそうです。それまで、「ろう」という世界を知らなかったらしいのですが、飛び込んで言語権の話をしたところが最初の接点だとか。カナダへ行って、バイリンガル教育の視察をしたこともあるそうです。

 

ここまでが前置きで、続いて本題に入って行きました。

前にFacebookで、「日本は農耕民族である」という話をしたのを思い出したのですが、最初はちょっとそことかぶさる部分があります。

日本というのは多様性を許容しにくい日本であることにまず触れられます。小さいときから周りに合わせることが前提であるから、自分と何か違う人を許容できない。それが日本人であり、「みんな同じ」「出る杭は打たれる」という謳い文句にもある通りです。

文化的で言語的背景が一緒になったとき、違う人同士の価値観をどのようにして乗り越えるのか、またその乗り越え方を生得するのかというのは難しい問題であるとも。

 

日本において、母語は日本語、外国語は英語という、二重の単一言語主義の考え方が強い。そのようなメンタリティが社会全体で構成されて、それ故に許容性を許容しないというのに重なってくるとも。講師が前に韓国に行ったとき、韓国で日本語をしゃべらされたそうです。周りから見れば、あなた日本人だとわからされたそうだが、そのように思った人が日本語を話せるということにびっくりしたとか。韓国では、第二外国語教育を中学校から始め、日本語が圧倒的一番人気だそうです。

 

言語教育の中で流行っているのが、複言語主義という考え方。これは一人の人間が複数の言語を使えるようにするということ。完璧は求めないが、コミュニケーションのリソースとしては最大限に使うこと。幾つかの言語を持つことはやはり必要であるということでした。

そうなると、外国語教育はなぜ複数必要なのかという話になってくる。これは複眼性を持たせるためであるそうです。世界をみるときにいくつかの武器や手段があると、そのモノの本当の姿に迫れるからで、外国語が一つと決めつけるとその外国語から得たものが絶対化してしまうデメリットがあるからだそうです。

モノを相対化できることは非常に重要である。相模原の障害者施設で残酷な事件が起きたが、あれが一回きりにとどまらないかもしれない。なぜなら、口にできないようなことを平気で攻撃したりするのは、多様性の異なった人を受け入れることができないという、日本人特有であるからともみることができるからである。ISのように世界をみると珍しいことでもなくなってきたが、日本でも同様な事件が起こるかもしれないし、小規模な事件(=相模原の障害者施設)でも起きている。今社会に求められているのは、自分と違うということを受け入れることができる社会を作り上げていくことではないだろうか、という話でした。

 

次に、講師が務めている、かながわ国際政策推進懇話会の話です。年数回に様々な分野の方をお招きして、外国籍住民の方が神奈川県で入り馴染むには、どのようにすべきかを知事に提案・提言しているそうです。

それに対応させて、神奈川県に住んでいる外国籍住民の人が、いろんな分野に意見をいう機会、外国籍県民かながわ会議というのもあるそうです。これは選挙権がない外国籍の方々とお話しできる貴重な機会であるそうです。

 

今の日本の人口の外国人比率は1.7%だそうです。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスが出来たときに、入管法が改定されて、1992年には外国人の比率が1%を超えました。しかし、他の国では、フランスでは5.6%が、ドイツでは約20%が外国人であるという。

日本における外国人比率が増えてくると、こんどは日本語を母語としない子どもも増えてきます。ポルトガル語や中国語、フィリピン語を母語としている子どもたちが多いとか。制度の問題では、日本における教育というのは国民教育がほとんどであるので、外国籍の方が行くとお恵みのような形になるそうで。憲法26条では「すべて国民は…」と規定されているように、文部科学省では文言説を取り、日本人だけが対象という考え方でいるそうです。教育そのものが人間における基本的人権であることを考えると、日本人か外国人かで制限するのは望ましくないという考え方だってあるということも。外国籍の子どもたちの不就学という課題にもぶつかってくるそうです。

アメリカやカナダにおいては、労働ビザを取る、いわゆる移住してくるとなると、子どもの就学義務が課せられるそうです。超過滞在などになると、子どもを通じてバレるとかバレないとか。日本はその点、児童の権利に関する条約に国会承認しているが、矛盾があるそうです。

 

言語権の話に入るのですが、法律では(1)言語に基づく差別の禁止、として宗教や人種と同じように禁止するのか。それとも(2)自ら使用したいと望む言語の使用、いわゆる自由権という形態が分かれます。言語権という言葉自体は生来日本には存在せず、アメリカからの言葉であるそうです。しかし、やはり人間にとって言葉は欠かせませんよね。人権レベルだと思うと話していました。

 

ろうの子どもたちの言語権。ろう児の定義を話されていましたが、言語獲得前に聞こえなくなった子どもを指したいと断った上での話でしたが、ろうあ者とは日本手話と呼ばれる日本語と異なる言語を話す、耳の聞こえない言語的少数者と呼ばれるそうです。音声日本語(音声言語としての日本語)を第一言語とする多数派に対して、言語的少数者と呼ぶそうで。

日本の憲法では、言語権の規定もなければ、日本語を母語とする規定もない。法の下の平等では言語が含まれていないが、学習権という形で判例が出ているらしく、それに似てろう児の言語権を主張されたそうです。

 

こういった話で進められてあっという間の時間でした。

 

感想を述べます。

この夏集会に向かう前、前回のブログでも述べたように東京に滞在していました。

そのとき、大学の講義などがあって、たまたま英語学習とつながる言語獲得の話が出ていました。

言語獲得の基本は、3歳から5歳が基本であるとその講義の担当教員が述べていて、私としてはふむふむという程度でした。

実際私が手話を学び始めた、使い始めたのは5歳ぐらいであり、その過程を述べれば言語獲得の基本からは逸脱するのです。

多分多くの日本人は、生まれたときに親など周りの環境の下、日本語の言葉がわからなくとも耳を通じて何回も聞いています。その中で次第にことばを覚え、そして喃語を発音し、そして正しい日本語の単語や50音を発音するという過程がごくごく一般的と感じます。

手話言語の獲得に対する研究は進んでいるのか、それともまだまだなのか、あまり触れてはいないのですが、仮にコーダのような環境などで聞こえる子どもが手話を獲得する、また聞こえない子どもが日本語よりも優先して獲得するという話になると、この教授された言語獲得の基本からは間違いなく逸脱するものであるとも感じれます。

 

私がたまたまでた講義の担当教員は、日本語対応手話も一応言語として認めていますが、実際はどうなのかと。言語体型的には言語であると考えますが、手話の基本である「効率的なコミュニケーション」にはかなり程遠く感じます。その中で言語権として日本手話をきちんと使う環境が整備されていくことが必要であるとあらためて感じることもできました。

日本でバイリンガル教育というと、明晴学院を思い浮かべますが、バイリンガル教育を受けた子どもたちが実際に社会に出たとき、どのような形でバイリンガル教育のメリットが出るのか。欧米諸国で行われているバイリンガル教育と同程度の効果が見えるのかどうかといったところも気になりました。

 

手話という言語文化を守るために、必要なことはそれを学ぶ、使う環境が整備されることです。言語権ということばが日本にもっと広がれば、守る環境もかわっていくものだと感じながら、お昼やすみのお弁当を食べていました。

 

Ⅰ講座目はこれで終わりにします。