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ろうあ者や手話通訳、時には時事ネタも突っ込む20代の次世代手話通訳者×全コーダが書くブログ。基本週一更新予定。

【行事参加レポートVol.5-1】第43回東北ろうあ青年研究討論会<1日目>

■第43回東北ろうあ青年研究討論会 in 秋田
=主催:東北ろうあ連盟 青年部/主管:一般社団法人秋田県聴覚障害者協会 青年部=
2017年7月8日(土)~9日(日) 秋田県仙北市 あきた芸術村温泉ゆぽぽ

 

1年ぶり!の東北青研のレポートです。

2009年に第35回東北ろうあ青年研究討論会として最後の単独開催から丸8年。2010年から2013年までの4年間は東北ろうあ者大会・東北地区手話問題研究大会の「青年のつどい」に組み込まれて併催開催となりましたが、2014年より再び単独開催に移行して今年で4回目の開催になります。

東北大会組み込みのときの開催では軒並み平均30人程度の参加でした。ただし、東日本大震災発生の2011年のみ61人として突出した参加人数となって、4年間の開催がありました。

再単独移行してからは27名、44名、46名と推移し微増傾向でしたが、今年は54名と単独移行初年の2倍の参加者になりました。

背景としては聞こえる人の参加が大幅に増えました。昨年の東北青研で聞こえる人の参加はわたし1人のみでしたが、今年は福島から6人・岩手と秋田からそれぞれ1人以上参加しました。

昨今、青年部との活動として、全通研のN-Action委員会が関係を持つようになった中、このような聞こえる人の参加者が増えることは非常に大事なことだと感じました。

 

7月8日(土)午前4時、目を覚まします。

前々から予告していた通り、交通費節約のため、自家用車で向かうことを決めていて、いわきから会場までは約6時間程度かかります。

そのため、自宅出発予定は5時45分頃で、様々な準備等を含め4時に起きました。

 

5時50分、予定より5分遅れましたが無事出発。常磐道の全線開通により仙台までは常磐道ルートのほうが近道(東北道ルートは距離が30キロ遠い代わりに時間が5分しか変わらないのと全線2車線)ですが、福島駅で福島からの参加者を拾うために東北道ルートを選択し、磐越道東北道と乗り継ぎます。

7時35分に福島県聴覚障害者情報支援センターに到着し2人、7時45分に福島駅西口に到着し2人乗せて、一路みちのくを北に突っ走り、昼食休憩を挟んで12時45分に無事会場に到着。どこかでアクシデントがあったら確実に遅刻してました。

 

無事会場着いて受付を済ませ、早速記念講演に突入します。今年も昨年に引き続き記念講演2本柱です。

今年が歴史の1ページになろうとしている背景がありますが、その中で行われた記念講演は、実にすばらしいものでした。

初日の記念講演は、一般財団法人 全日本ろうあ連盟 青年部 中央委員 田原 里絵 氏による、「青年部活動のために~情報提供施設職員と青年部員の視点から~」というテーマでご講演をいただきました。

最初は青年部の活動についてお話をいただきました。第1回全青研京都(差別青研)、そして1969年の全国青年部発足、青年部の活動3本柱(仲間づくり・学習づくり・要求づくり)について学び、軽い休憩タイムを挾み、いよいよ本題へ。

突然の話でしたが「”言葉にできる”は”武器になる”」という提案がありました。これ、すなわちどういうことか?いろいろ考えたのですが、青年部の活動3本柱にかかってるんですよね。

わたしたちが仲間を作ろうとするとき、「こんにちは、はじめまして」という言葉で始まります。そして学習するときに「ここがわかりません」という疑問から学習が成り立ちます。そのあと「ここがおかしいとおもいます」という感覚や感情を言葉にして、これまでろうあ運動を続けてきました。

つまり、「"言葉にできる"」ことは"自分を変える"ことでもあり"社会を変える"ことでもあり、"未来を変える"ことでもあると思うのです。

 

二つ目の話は、主に聴覚障害者にとって生きるために必要な”見える情報”についてのテーマでした。目で聴くテレビの職員従事を通して「当事者による情報発信」と「災害時における情報保障」がやはり重要だということを提起しました。目で聴くテレビができた背景も災害が大きなきっかけでした。

 

その後、情報提供施設についての話がありました。ろうあ運動を研究されている方はすでにわかると思いますが、情報提供施設は昔「ろうあ会館」と呼ばれ、今でも大阪の情報提供施設ではその名前が残っています。お願い運動から権利要求運動に発展した際、民法11条の改正、「口のきけないもの」文言が入った道路交通法88条/自動車運転免許取得運動、手話通訳制度化に並ぶ4本柱の活動が展開され、1990年に身体障害福祉法改正により情報提供施設の建設が法制化されます。現在に至っても北海道および広島県の2道県および仙台・さいたま・千葉・相模原・新潟・静岡・浜松・名古屋・大阪・神戸・岡山・広島・福岡・熊本の各政令指定都市にはまだ設置されていません。東北ブロックは2016年10月に秋田県で開設されたことで県レベルでの設置が完了しましたが、仙台市レベルではもちろんのこと、岩手や福島など面積が広大な県では1つだけでは不十分ともいえるなど、法制化して四半世紀を迎えても未だなお設置だけの課題があります。

多くの情報提供施設では、字幕や手話入りビデオの制作や貸出が行われており、情報提供施設の法制化もその機能がコアになっていますが、東京にある聴力障害者情報提供センターに委託し、そこで制作されたビデオが各地の情報提供施設に振り分けられて利用者に提供されるという仕組みを取っています。

東北ブロックだけでも、岩手・秋田のように駅から数分という至近距離に立地しているセンターもありますが、福島や青森のように駅からバスを乗り継いでという状況だったり、福島の場合いわきや会津からは90分以上の所要時間がかかるなど、依然利用者が使いやすいようには設置されていないケースが多く、地元自治体も”設置してなんぼ”という考えがあるところも多いです。実際のところ福島の場合は2013年に開設されましたが、所在地は元の協会事務所を拡張して設置されています。このようなケースを見ると、法制化されてもなお、依然として機能を発揮できているとは考えにくいです。

長々と垂れてしまいましたが、講演の中では機能について触れ、「手話通訳者等の派遣事業」コーディネートや、「生活保障等相談支援」のサービスの提供が行われています。

 

最後に、講師が伝えたいこととして、ICT(通信技術を使ったコミュニケーション、例:LINEやSkypeなど)およびIoT(インターネットコネクトデバイス、別名スマートデバイスとも)を使って攻めることが大事、と訴えかけてくださいました。

しかし、これらの技術はまだまだ発展途上でもあり、講師はこの点についても触れ、一つの武器として使うことを訴えかけると共に、「言葉にできる」ことも大事と改めて強調し、「あたりまえを疑うこと」から始まると締めくくり、この講演を終えました。

 

そのあと休憩をはさみ、ワークショップが行われ、テーマは「情報提供施設」とされ、求めることなどを参加者5グループに分かれて話し合いました。
聞こえるわたしは、あえて話し合いを眺めることにしか過ぎないようにしていましたが、様々な意見が出されている中で、これを要求することが改めて大事だと感じました。

 

17時に記念講演・ワークショップ関係が終了し、18時30分に始まる交流会まで自由時間になりました。

今回の部屋は4人1部屋という形で、昨年東北青研で知り合った岩手のろうの方や宮城の参加者と一緒の部屋でした。

自由時間の間、灼熱のように燃える太陽に当たり流した汗を流すために、みんなでお風呂に入り、裸のおつきあいをして、無事18時30分、交流会がスタートしました。

 

秋田名物の横手やきそばなどが振るわられ、参加者はそろって舌鼓を打っていました。

そして、ゲームが行われ、伝言ゲーム(※手話禁止)が行われ、わたしたちのチームは東北楽天ゴールデンイーグルス(東北・仙台拠点のプロ野球チーム)がテーマで、3番目のリレーラーでしたが、野球の身振りだけで肝心の「楽天」を示すものが抜かれた状態でリレーされ、ほぼほぼ全員ノックアウト。司会のヒントでやっと答えを探り出すものでした。

楽しい交流会も21時になり、強制退出になり、参加者はみんな揃ってお風呂へ。

わたしは大浴場のぬるま湯で青年部中央委員の2人といろいろな会話をして、時刻は22時。

310部屋に突入して、講師を囲んでの二次会が始まり、気が付けば24時までくっちゃべり。翌日運転を控えてるので、ほどほどにして部屋に戻り、25時ぐらい?に就寝。

 

(1日目おわり)

 

お詫び:2018年度も引き続きいわき市に残留することが決定しましたが、手話サークルの会員を更新するかどうかはちょっと決め兼ねてます。

それから、第49回全国手話通訳問題研究集会のレポートですが、頭の記憶が薄れかかってるので、間違った文言にて誤解を与えるのを防ぐためにも、現状発表しているレポートによって打ち切ります。だって、来月で1年だもん。ごめんなさい。