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ろうあ者や手話通訳、時には時事ネタも突っ込む20代の次世代手話通訳者×全コーダが書くブログ。基本週一更新予定。

【行事参加レポートVol.6-1】第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま~<イントロダクション>>

■第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま
=主催:一般財団法人 全日本ろうあ連盟一般社団法人 全国手話通訳問題研究会
 主管:社団法人 広島県ろうあ連盟特定非営利活動法人 広島県手話通訳問題研究会=
2017年8月18日(金)~20日(日) 広島県福山市 ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ福山市立大学

お待たせしました。第50回全通研集会のレポートです。

1968年、「第17回全国ろうあ者大会」が福島県福島市で開催され、当時は1,700人を超えるろうあ者および手話通訳関係者が福島に集いました。「第2回全国ろうあ青年研究討論集会」が福島県猪苗代町の国立磐梯青年の家で、全国大会に併催してまた「全国手話通訳者会議」が初めて開催されました。あれから50年。1975年から「全国手話通訳問題研究集会」として開催され、今年で50回目の歴史を刻むことになりました。

わたしは、2014年の福島集会、2015年の三重集会、2016年の神奈川集会と続いて4回連続の皆勤賞。

今年も期待を高くもって、参加してきました。

 

時は8月18日(金)、朝4時。
今回の開催地である広島県福山市には始発電車では間に合いません。開会式に遅れてもいいなら行けたりするのですが、まあせっかくなので開会式から見ることにするために、今回も茨城県まで自走です。
5時31分に高萩駅を出る「特急ときわ58号」にて上野駅、東京駅と乗り継ぎ、9時10分ののぞみでいざ福山へ。

今回は、ひとり旅になろうかと思っていましたが、福島の青年部の方と一緒にいくことに。東京駅で待ち合わせして、途中新幹線の中でしゅわべりながら、3時間34分(別に阪神関係ないんですよ~)の道中。

12時44分に福山に着き、ドアが開いた瞬間ものすごい熱風が。8月の前半、福島県はおろか東北地方では日照不足や連日の大雨で気温は涼しい日が続いていました。化物のように熱い風を受けて、ひとまずお昼をたべよう、ということで。前日入りして観光していた福島青年部の部長さんと合流して福山駅ビルの飲食店へ。

そんなわけでお昼を済ませ、今晩からお世話になるホテルに荷物を預け、タクシーでリーデンローズへ向かいます。時間は超ギリギリの13時50分着。どっかの行程でハプニングがあったら間に合いませんでした。

 

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▲(左から)集会開会式であいさつする地元実行委員長、集会主催者の一つである(一社)全通研・渡辺会長

開会式が始まり、厚生労働省の特別報告があり、相変わらず見にくいスクリーンで恐縮でしたが、発表が終わって、いよいよ記念講演に入っていきます。

 

ぶっちゃけたことを一ついうとですね、早起きしたこともあり、すごく眠い中で講演を受けることになりました。で、ちょっと寝てました。ちょっとどころじゃないな、結構寝てたかも。

 

記念講演は「風の歌が聴きたい」というテーマ。名前を聞いた方、ピンときた方もいるのではないでしょうか。映画「風の歌が聴きたい」の監督、大林 宣彦 さんです。

大林さんの話を聞きたくて参加した人も少なくないと思いますが、2016年8月に肺がん(ステージⅣ)が判明し、「余命3ヶ月」の宣告を受けます。しかし、抗がん剤治療が向いたこともあり、現在「余命未定」という状態であるという話も伺えました。

で、伺えたのはいいんですが、もう眠すぎて失礼ながらあくびをしながら聞いていたのですが、睡魔に勝てず・・・。なにせ、大林さんの声が子守唄のように優しい声で語ってくれるもんでして、最初の30分ほど頑張って聞いていたのですが、いつの間にか夢に入っておりました。申し訳ないです。

ただ、その中でも、大林さんが言っていたことで印象的だったことは何点かあります。一つ上げるとするなら、この映画の舞台となった高島久美子さんに監督から話を聞いたときに、「風の音が聞いてみたい」という話になったらしく、監督がこれに疑問を感じたそうです。「え、なぜ?」という話になって、その話でトライアスロンが関わって、「トライアスロンは風を感じる、けどその音は聞けない」という話になったらしく、それで監督が深い感銘を受けたとか。そんな話をきいて、ああ・・・すごいなあ、と思って聞いておりました。

昨年、戦後70年を数えて、アメリカ合衆国の大統領が被爆地を訪れて献花するという歴史的な一場面がありました。その様子は広島県はおろか、全国に生中継され、多くの話題を集めました。今回、全国手話通訳研究集会が行われるにあたり、講座の一つには原爆ドームを巡ったり、また戦争や原爆投下の歴史を語り継ぐろうあ者の講演を聞く講座もありました。

監督はこの映画の撮影を通じて、感じたものがあるそうでした。「障害があるということは個性なのだと」、決して悪いものとして捉えないということ。それから、「戦争こそ障害」なのだということも。広島県で生きてこられた監督の言葉だからこそ、その重みが改めてわかりました。

そんな中で、先ほど2016年8月にステージⅣの肺がんが判明したという話がありましたが、そのあとすぐに映画の撮影が始まるという話もあったそうです。なんとかやりきったという形で話をされていましたが、その映画の話が最後にあり、なんとスペシャルゲストで、その映画に出演する満島真之介さんが会場に。たまたま尾道など広島県に滞在していたようで、せっかくということで監督の話を聞きにきたそうです。

思ってもみないサプライズゲストの登場で、会場が沸き起こり、満島さんも舞台へ。映画「花筐」がこの冬から上演が始まるという話、また満島さん自身も沖縄県の出身でクォーターだそうですが、「戦争がなかったら沖縄にもいなかった、そしてこうしてみなさんにも会えなかった」という話をされ、満島さん自身も複雑な気持ちだそうですが、あらためて戦争はいいものではない、という話もされて、お時間になりました。

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▲(左から)記念講演での映画監督・大林宣彦さん、サプライズゲストとして登壇した俳優の満島真之介さん

で、時間になった途端、ステージ左端からスーツ姿の男性が・・・司会者壇上に上がり手話表現を始めて・・・「改めまして、第二部の司会・進行を務めさせていただきます・・・」と・・・、そう、本当ならば第二部(記念講演)の司会を務めるはずだった地元実行委員が今頃現れたのです。

というのも、記念講演の準備中、大林監督が待たせないように、と喋り始めたから、この司会者出る幕がなかったということで、記念講演が終わってからの登場。「あらためて大きな拍手をお送り下さい・・・それでは、短い時間でしたが第二部を終了させていただきます」と、なんとわずか5分の司会。これには場内が騒然としていました(笑)。

 

そんな流れで、初日ふくやま芸術文化センターで行われた式典関係は終了。

(レポート2部目につづく)