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ろうあ者や手話通訳、時には時事ネタも突っ込む20代の次世代手話通訳者×全コーダが書くブログ。基本週一更新予定。

次世代活動とはなにか。僕なりに考えてみた。一の巻

前回の記事投稿が2020年のコロナ禍だったことを考えると、三日坊主ならぬ三年坊主ですね。本当に申し訳ありませんでした。

 

さて、久しぶりに投稿してみようと思ったのは、標記のとおりでして。

【!注意!】この先、批判と捉えかねない文面が出てきます。気分が悪くなりましたら、そっとページを閉じてください。

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埼玉県の手話通訳配置問題を考える。

気がついたら年越していました。三日坊主にはかなり縁が強いようです。

 

すでにニュース等で盛んに報道されていますが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴う緊急事態宣言が令和2年4月7日、埼玉を含む首都圏、大阪、兵庫、福岡の7都県に発令されました。

これに遡り、令和2年3月10日、埼玉県聴覚障害者協会は要望書を提出しています。

内容は「手話言語通訳者を配置してください」という通り、記者会見における手話言語通訳者の配置を要望しています。

この問題は、令和2年4月30日以降、埼玉県臨時議会にて予算提出され、可決された後速やかに手話言語通訳者を配置する旨を、令和2年4月22日に埼玉県知事が明らかにしています。

 

では、ここで埼玉県手話言語条例(平成28年3月29日条例第17号)を見てみましょう。一部抜粋です。

 (県の責務)

第3条 県は、前条に定める基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、ろう者が日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるようなものの除去について必要かつ合理的な配慮を行い、手話の普及その他の手話を使用しやすい環境の整備を推進するものとする。

第2項(略)

 第3条の中で、日常生活や社会生活を営む際、障壁になりうるものについて合理的配慮などを行うことが明記されています。

 (情報へのアクセス)

第9条 県は、ろう者が県政に関する情報を円滑に取得することができるよう、情報通信技術の活用に配慮しつつ、手話を用いた情報発信の推進に努めるものとする。

第2項 県は、災害その他非常の事態の場合に、ろう者が手話等により必要な情報を速やかに取得し、円滑に意思疎通を図ることができるよう、必要な施策を講ずるものとする。

 第9条では、県政に関する情報を取得することについて述べられており、さらに第2項では災害その他緊急事態には必要な施策を講ずるものとする、と明記されています。

この点に立てば、埼玉県は令和2年4月7日に緊急事態宣言が発令されたにもかかわらず、3週間あまり、必要な施策を講じてこなかったことになります。この点は埼玉県が改めて再認識すべきポイントだと思います。

 

それでは次に、地方自治法*1の一部分を抜粋します。

 地方自治法第179条 普通地方公共団体の議会が成立しないとき、第130条ただし書きの場合においてなお会議を開くことができないとき、普通地方公共団体の長において議会の議決すべき事件について特に緊急を要するため議会を招集する時間的余裕がないことが明らかであると認めるとき、又は議会において議決すべき事件を議決しないときは、当該普通地方公共団体の長は、その議決すべき事件を処分することができる。ただし、第162条の規定による副知事又は副市町村町の選任の同意及び第252条の20の2第4項の規定による第252条の19第1項に規定す指定都市の総合区長の選任の同意については、この限りではない。

第2項 議会の決定すべき事件に関しては、前項の例による。

第3項 前2項の規定による処置については、普通地方公共団体の長は、次の会議においてこれを議会に報告し、その承認を求めなければならない。

第4項 前項の場合において、条例の制定若しくは改廃又は予算に関する処置について承認を求める議案が否決されたときは、普通地方公共団体の長は、速やかに、当該処置に関して必要と認められる措置を講ずるとともに、その旨を議会に報告しなければならない。

第179条では、緊急時において議会招集の時間的余裕がないとき、議決すべき事件を処分できると明記されています。

続いて第180条です。

第180条 普通地方公共団体の議会の権限に属する軽易な事項で、その議決により特に指定したものは、普通地方公共団体の長において、これを専決処分にすることができる

第2項 前項の規定により専決処分にしたときは、普通地方公共団体の長は、これを議会に報告しなければならない。 

 「軽易な事項」というのがミソですが、知事は専決処分できる旨が明記されています。

専決処分という行政用語が難しいと思いますので、複数の辞典から意義を引用します。

イメージとしては、議会での議決を省略して処理を行い、その後知事が議会に報告する、これが専決事項です。

 

では、専決処分について、どのような例があったのか列挙しておきます。

  • 2000年三宅山噴火による東京都三宅村全島避難により、議会招集が困難。補正予算20件程度を専決処分。
  • 2009年愛知県半田市新型インフルエンザワクチン接種助成拡大のための費用を専決処分(議会開催まで15日あり時間的余裕がない)
  • 2013年大阪府東大阪市議会による新年度予算等の議決せず閉会したため知事専決処分
  • 2019年台風第19号による浸水被害により多くの自治体(長野県や福島県を中心)で知事及び市町村長が専決処分。福島県では439億円の専決処分。

このように、緊急事態で議会まで時間を要する場合においては、専決処分が活用されています。

 

まとめますが、今回の議会待ちの姿勢は、到底手話言語条例を促進させる側である県の責務が問われると思います。特に、緊急事態宣言が発令されて10日後に動いたことを評価するかしないか、またこの1ヶ月前に要望が提出されていたのにも関わらずその後1ヶ月あまり後に動き出した点をどう評価するか。この点につきると思います。

知事が発するメッセージを、県民は聞いてほしいのか、障害の有無によって聞かなくてもいいととれるような今回の事態を、きちんと考えるべきだと思いますし、知事が仮に手話通訳がいらないとしたら、今回の事態を埼玉県福祉部はどう考えているのでしょうか。

改めて、障害の有無によって情報の取得に時間を要すことで、情報の取得に差異が生じるということがあってはならないと思います。すべての県民に寄り添い、緊急事態であるこの状況を乗り越える先陣に立つべき地方公共団体が、このような形であっては社会は変わりません。埼玉県は真剣にこの問題に向き合っていただきたいと感じます。

 

Twitterでもつぶやいていた方がいらっしゃったので、引用しておきます。

 

 

*1:日本国憲法第92条地方自治に関する法律。地方公共団体の組織及び運営に関する事項。

第28回全国聴覚障害教職員シンポジウムを終えて

 あまりの暑さに、こりごりです。先日、自宅の最寄りの測候所は、正午のニュースで記録が伝えられるなど、あまりにも数年前よりも高温で体が追いつきません。

 

 さて、7月末岩手県盛岡市で「第28回全国聴覚障害教職員シンポジウム東北大会」が開催され、無事成功裡に終わりました。全国各地からお越しいただいたみなさんに、心から感謝申し上げます。東北シンポジウムでは、現地事務局で事務の担当をさせていただきました。現地事務局は実行委員長と2名の計3名で準備に当たりました。
 時は遡ること、昨年11月協力要請のもと、できる範囲でお手伝いさせていただくということで半ば実行委員会に入って“しまった”わけですが、今改めて思うと膨大な仕事の量を前に、その想像すらしないで二つ返事してしまったのだろうと思い返されます。

 仕事が始まってから大会までの4ヶ月間は、今思うと本当にハードでした。しかし、大会3日間やりきったあとのみなさんの笑顔、そして主催者である全国聴覚障害教職員協議会のみなさんから感謝のお言葉をいただいた時、「やりきった」という思いが強くなり、結果となっては楽しかったと言い切れます。

 事務局として仕事を引き受け、また現地事務局という名前であるものの、開催地とは400km以上離れた福島で事務局を立てたことは決して簡単なことではありませんでした。開催地である盛岡との意思疎通、そして会場担当者が事務局にいないという状態ですから、本当に色々なことがありました。ここで細かく出すのはやめておきますが、「一つのモデル」としては面白いやり方ではあったのではないかなと感じるところです。

 

 私はろう教育をまだよく知りません。自分の両親がろうで、ろう学校出身であってもろう学校の校舎に入ったことはないし、ろう教育が実際にどう行われているのかもあまり存じ上げないところでした。ですから、本当に今回のシンポジウムでは”完全アウェー“の立場でした。それも一ついい刺激になったのではないかなと思います。

 事務局の仕事もありましたので、すべてのプログラムを見れたわけではありませんが、どの場においても指摘され、また話題に上がっていたことはどれも重要なことばかりであったと思います。特に私たちが考えなければならないなと思ったのは、登下校中の子どもたちの安全をどう確保していくか、です。これは、通常時もそうですが災害発生時などの安全確保は多くの課題が残っています。情報が得にくいという情報障害、そして子どもという社会的に弱い立場(社会的に弱いというと見下しているような気がしてこの表現好きではないのですがすいません)の二重状態で、どのような安全確保が望ましいのか。とても考えさせられました。

 そして、僕が一番楽しいなと思ったのは、「日本語にとらわれない」教科指導です。これは最終日に実際に参加者がグループを作り、実践したものです。数学や社会、国語などを題材に(今回のテーマでは小学生クラスの比較的教授しやすい題材)トライしてみるというものでした。数学の立方体の表し方、社会の地理の教え方等々、各参加者がひねりにひねった表現を発表し、「ああ、こういう教え方もあるんだな」と頭に雷を打たれたような時間でした。

 ということで、あまり長く書いても見辛くなるので、このへんにとどめておきます。

 事務局として関わることができて、とても有意義な3日間でした。その前の一週間は実のところ4時寝6時起きの生活で、目にクマができていましたが・・・(笑)。ありがとうございました。

今年の振り返り - 2018 -

気がついたら前の更新が5月だったということで、いい機会なので軽く振り返りながら、新年の抱負を語ります。

 

今年は大晦日の晩から飲んだ日本酒(4号瓶・720ml)が午前1時にあけてしまう大暴走っぷりで幕を開けました(翌日、母親・祖父母から飲み過ぎと叱咤)。

思い返せば、7月に福島市で開かれた第44回東北ろうあ青年研究討論会 in ふくしまに前半はほぼ注力してました。当日はN-Actionの立場から助言者としても登壇し、とてもいい経験(おそらく最初で最後)になりました。公務員試験本命は脱落しましたが、なんとか救いもあり、来年度は無事就職が決定。

全通研沖縄集会、東北大会in多賀城も参加。全国ろうあ青年研究討論会は秋田で開催されて東北6県で一巡した形になりました。

 

さておき、次世代活動の話をしたいと思います。

今年1月28日、福島支部に次世代活動組織として「N-Action専門班」が新たに設置されることが決定し、定期総会の場で無事承認となりました。自分は運営委員でもなく、N-Action専門班の重役でもなく、言ってしまえば”ヒラ”ではありましたが、長い目で期待していた成果が一つ実現しほっこりしたところではありました。

昨年の話にはなりますが、今年7月の「第44回東北ろうあ青年研究討論会 in ふくしま」の実行委員会にもN-Actionメンバーが多く参加し、改めて県青年部とN-Actionの連帯が一つ形になりました。

定期総会後、東北青研にリソースを注力するため一旦次世代活動としての活動はほとんど皆無、東北青研終了後も忙しく動いたためあまり活動できませんでした。ただ、県青年部の行事には参加したり、簡易的な通訳を行い青年部との連帯は維持してきました。

9月、東北大会の場で非公式かつ個人的ではありますが、全通研東北ブロック長と軽くお話をさせていただきました。東北ブロックの次世代活動に向けても今後福島での活動が一つのモデルになりうるという前提で福島の活動を進めていかなければならないと思いました。

そういう意味では2018年度の活動が一つの試金石でも有ったのかもsれません。まだ2018年度は終わってませんが、残り3ヵ月が正念場だと思いました。

昨年と違うことは組織的になったこと、あらためて組織とは何なのか?を考える良い一年でもあったと思います。今後福島はもちろん、東北のために何ができるか、2019年度は常に疑問を持ち取り組んでいきたいと思います。

【Report Vol.7】第68回東北ろうあ者大会・第44回東北地区手話問題研究大会

■第68回東北ろうあ者大会・第44回東北地区手話問題研究大会■
主催:東北ろうあ連盟・東北地区手話サークル連絡協議会・一般社団法人 全国手話通訳問題研究会 東北ブロック
主管:一般社団法人 岩手県聴覚障害者協会・岩手県手話サークル連絡協議会・岩手県手話通訳問題研究会
2017年9月30日(土)・10月1日(日)
岩手県盛岡市 盛岡市民文化ホール盛岡市総合福祉センター・サンセール盛岡 他

 

2009年、福島県いわき市でわたしは東北デビューしました。
(東北デビューより全国デビューのほうが早いのは秘密よ!)

あれから8年。2009年福島・いわき大会、2015年福島・福島大会、2016年青森・八戸大会、そして今年は岩手県盛岡市での開催となりました。

東北大会は、10年ほど前から(もっと前かもしれません)東北ろうあ者大会と東北地区手話問題研究大会が併催して1つの大会として開催されています。
(少なくとも57回東北大会から併催であることが確認できる)

このような併催の形は、北信越ブロックにも見られ、北信越ろうあ者大会と北信越手話通訳研究集会が併催されて開催されています。

東北ブロックでは「手話通訳問題研究集会」という名前を使わず、「手話問題研究大会」としていますが、おそらくこの背景には東北地区手話サークル連絡協議会が絡んでいることだからでしょう。北信越大会では主催・共催団体にはサークル団体が入っていませんが、他の地域での通研集会には手話サークル団体の共催が入っている地域もみられます。

昨年は青森県八戸市で、同じ太平洋側でも北に一直線で約400kmあり、自家用車でいくにはかなりのハードルがあります。この400kmは今年の東北青研(秋田)への道のりとほぼ同等ですが、実キロに換算するといわき=八戸は高速道路の最短経路で480kmという長い道のりです。ということで、昨年は新幹線で優雅に株主優待券でグリーン車に乗ったり)行きましたが、今回は父親も一緒ということで自家用車で向かうことになりました。

 

午前7時、家を出発し、常磐道で仙台、そこから東北道に乗り入れてひたすら高速道路に乗り続けます。途中、常磐道南相馬鹿島S.A、東北道長者原S.Aと紫波S.Aで休憩しながらでしたが、実のところ全く眠れず(遠足に行くこどもですね)運転に回っていたことを考えるとやばい…と思っているのですが、徹夜明けの運転はもう何回もこなしてるので、コーヒーで眠気を覚ましながらの運転。途中、110km/hへの速度制限が引き上げになる岩手県内の東北道を走行しながら、走りやすいなあと思いながら、盛岡I.Cを出て盛岡市内に。

今回、父親は東北ろうあ老壮年研修会(東北大会に併催)に参加するため、岩手県雫石町鶯宿温泉に宿泊。盛岡駅から参加者向けのバスがありましたが、これではもっと家を早く出なければならないことを考慮して、送り届けてから盛岡市内に向かうというスケジュールとなりました。予定通りに到着して、そのあと盛岡市内に向かうことに。

30分あれば着くだろう…と思ってたら盛岡市内でどっぷり渋滞にハマり、ホテルの駐車場ではまだ入庫できないと断られ、近くの近隣駐車場に停めるもほぼ満杯で8階建ての立体駐車場の7階まで周り、外に出ようと思って立体駐車場から出ようと思ったら雨が降っていたことを忘れ、車まで傘を取りに戻り…、そしてお財布が空っぽなのでお金を下ろしにコンビニに向かって…、と時間を確認したら12時50分。13時スタートだったので間に合わないと思いつつも、ヘイ!タクシィ!で会場へ。

 

東北大会は、3つの分科会と3つの専門部集会で構成されています。10年前までは、専門部集会がほぼなかった(青年部だけ?)こともあり、講座に加えて6つの分科会があった時期もあったそうです。
(第57回東北大会宮城では基礎講座・手話分科会・手話サークル分科会・手話通訳分科会・教育分科会・労働分科会・スポーツ体験分科会・こけし体験特別企画であるのが確認。専門部集会はない…?)
それから東北という地理的影響を考慮し、東北ろうあ青年研究討論会が合併されたりしました(2014年から再び独立化)が、現在では3つの分科会(手話・手話サークル・手話通訳)と3つの専門部集会(東北ろうあ老壮年研修会・東北ろうあ女性集会・青年のつどい)にまとまっています。東北ろうあ老壮年研修会は大会とは一画した体系で、大会拠点地よりも離れたところで一泊お泊りまでまとめてやることが多く、今回も盛岡市内ではなく雫石町の温泉旅館で2日目の朝まで滞在し、そのあとバスで大会式典に望むというスタイルです。(2015年の福島大会も同じ福島市とはいえ、福島市中心部が拠点地だったのに対し、30分程度離れた飯坂温泉で老壮年研修会を実施した)

2009年のいわき大会では手話サークル分科会(といいながら、父親の要員手伝いとか裏方の仕事に回ってましたが)、2015年福島大会では手話分科会(講師は植野圭哉氏)、昨年の2016年八戸大会は青年のつどいに参加し、今年も青年のつどいに参加しました。

昨年は、全国ろうあ青年研究討論会が50回目の開催となることを踏まえ、全国青年部中央委員長にお越しいただき、青年部の歴史や50回の歴史を学びました。
今年は、地元・岩手県盛岡市より、第9回国際アビリンピック(国際障害者技能競技大会)のDTP(デスクトップ・パブリッシング)種目で銅賞を受賞した、一般社団法人 岩手県聴覚障害者協会 理事の徳江 真史 氏の講演です。DTPとは、ポスターやチラシ、旅客案内など多岐にわたるもののデザインを考案し、それを実施に創り上げるという極めてプロフェッショナル性とクリエイティブ性が問われるもので、講師は工科大学で学んで現在DTPを仕事にしていらっしゃいます。

私もAdobe教(と巷では呼ばれているらしいですが)に入信し、Adobe税(Adobeソフトウェアを使うことができるAdobe Creative Cloudの使用料金)を払ってAdobeのソフトウェアを使います(よく使うのはPhotoshopIllustratorLightroomが、イラストレーター(Illustrator)やInDesignを使って、デザインを仕上げていくのはすごく技量が問われて、なかなか凡人の私にはできっこありません。ソフトを使いこなすのも勉強しなければならない、またアップデート等で機能が追加されていくとその機能を覚えなければいけなかったり、機能の使い方が変わるとそれをまた追いかけなければいけないといったことはどんなソフトウェアでも共通しているのかもしれませんが、クリエイターが使うソフトは結構シビアに変わっていくのでそこは大変だろうと思いながら、講演を聞いていました。 

 

青年のつどいが終わり、一旦ホテルに戻ることにしました。交流会にも申し込んでいて、交流会会場のほうがホテルに戻るより近いし徒歩で行けない距離でもないのですが、荷物を軽くしたいことやチェックインをしておきたかったため、一旦戻ることに。

青年のつどいの会場である「盛岡市総合福祉センター」から3分、「上の橋町」停留所で待つこと10分程度、バスがやってきました。乗ったバスは「盛岡都心循環バス『でんでんむし』」で、盛岡駅を起点・終点とする1周5.7km・35分のバスです。

この『でんでんむし』、盛岡駅から盛岡城跡公園や県庁、今はなき盛岡バスセンター周辺をまわり、岩手医大附属病院や石川啄木新婚の家をめぐるバスで、1周が100円。1周であれば、どこから乗ってもどこでおりても100円で、地方部のバスは初乗り150円が多いのに対して統一料金でわかりやすいバスです。乗ってる時間は15分程度でしたが、2~3停留所間の利用も多く見られ、観光来客の足はもちろん、市民の足としても定着しているのが伺えます。

『でんでんむし』に乗り、盛岡駅東口に出て、一旦ホテルへ。今回お世話になるホテルは、「ホテルルートイン盛岡駅前」さんです。今回の大会”も”宿泊地は自分で予約する形で、私以外にも大会参加者が利用しているのが見られました。中でもラジウム人工温泉とはいえ、大浴場がついているのはおトクですが、1泊7,800円。まあ、地方部のホテルにしては高いほうでしょう。チェックインを待っている間、手話通訳分科会の講師でした東京手話通訳等派遣センターの江原 こう平 氏とばったり会ったりしながら、チェックインを済ませて自分の部屋へ。荷物だけさっさと置いて、カメラバッグだけ持って、再び『でんでんむし』に乗りに盛岡駅東口へ。

『でんでんむし』に乗ったはいいのですが、「あれ、方向間違えたかな?」という予感がばったり当たってしまい、北回り・南回りを間違えて乗ってしまう羽目に。交流会会場の最寄りバス停は「盛岡バスセンター神保町」停留所で、ここにいくには南回りが7区間、北回りが12区間と遠回りに。「まぁ仕方ないや、同じ100円だから」と思いながら、バスに揺られ、無事に到着。そこから3分程度で交流会会場の「サンセール盛岡」に到着すると、すでに交流会は開場しており、急いで受付を済ませて交流会へ。

交流会の乾杯の音頭は、翌日記念講演をされる講師さんが取り、みんなでカンパ~イしました。同じテーブルの人と歓談したり、また先輩方にビールを注ぎにいったりして、あっという間の2時間でした。

交流会を終えて、外に出てみると、吹き付ける風が冷たく、その風に吹かれて温度も下がっていました。私はまだ平気だったのですが、「うわぁ、寒い…」と両手で腕をこする仕草が目立ちました。

そのあと、地元岩手県の青年部主導で、青年部の二次会があるのでお邪魔することにして、途中東北の青年たちと歓談しながら、17分もの道を歩いて、二次会へ。またカンパ~イと始まり、講師の徳江氏と一緒に話したり、積もり積もった話をして、あっというまに23時に。

そこからホテルがある盛岡駅東口までみんなで歩いていきましたが、「シメ」を求めて、3次会へ行くことになり、盛岡駅東口のラーメン屋さんに4人で入り、シメを堪能して解散となりました。

ホテル着いたのは24時…は回ってたはず(あんまり記憶にない)。そんなこんなで1日目がおわり、シャワーはめんどくさいので翌朝にお預けしてさっさと寝ました。

 

2日目は午前6時ごろ起床。日曜の朝といえば、ニチアサ(ニチアサキッズタイムの略称。2011年の番組改編以降名前が使われなくなったものの、今でもこう呼ばれる)を見る人が多いと思いますが、その前に「NNNニュースサンデー」を見るのが習慣…化してません(日曜は本当いろんな行事があってそれどころじゃない)が、見る時間があるのならということで見てから大浴場にお風呂に入り、そのあと無料バイキングモーニングを頂いて、チェックアウト。ちなみに、私の日曜の朝はヒーローものやプリキュアなどのニチアサではなく、シューイチ派です。こないだの改編でさらに見る可能性低くなりましたが、気がついたら多分プリキュアとかみるかも。ただアニメ番組を見る習慣がない(強いていえばサザエさんぐらい)ので、話についていけるか…。

そんなところで、チェックアウトして荷物を車に預けて、盛岡駅の構内を東西に突き抜けて、大会式典が開催される盛岡市民文化ホールへ。父親と再会して、大会式典に。

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▲大会式典の様子

記念講演を終えて、次開催地の宮城県への引き継ぎ式が始まりました。

来年の東北大会は、2019年に全国ろうあ者大会が宮城県で開催されることから、いつもの9月下旬開催から1ヶ月前倒しして行われます。なお、2016年八戸大会でも、岩手県を除く5県で全国ろうあ者体育大会が分散開催、岩手県では国体が開催されたりした関係で、1ヶ月遅い10月末に開催したことがあります。

東北大会で勢いを付けて全国規模の大会を開催する流れは、実は東北ブロックでは珍しくなく、近い話では今年東北ろうあ青年研究討論会を開催した秋田県は来年、全国ろうあ青年研究討論会の開催地になったりしています。そういうわけで、来年の東北大会は2019年(平成30年)8月31日(金)に諸会議、9月1日(土)に分科会・専門部集会・交流会が行われ、9月2日(日)に大会式典・記念講演という運びになりました。もしかしたら、来年の東北大会は全国大会に向けた決起集会があるかもしれません。大会補助や後援関係で、開催地は杜の都仙台市…ではなく、仙台から電車でアクセスしやすい宮城県多賀城市での開催となります。

8月末の仙台・多賀城近辺は青葉山から吹き下ろす風で暑い…はず。全国手話通訳問題研究集会(沖縄・那覇/宜野湾)からすぐの開催のため、その勢いを保ったまますばらしい大会になればいいな、と思っております。

 

みんなとさよならバイバイして、盛岡市を離れます。本来なら盛岡のわんこそばや冷麺を堪能するのが通例なのでしょうが、のんびりしていると仙台都市圏の混雑に巻き込まれるので、13時には離脱し、盛岡I.Cから東北道へ。まもなく紫波S.Aに到着し、昼食を済ませて一路仙台へ。仙台市の一歩手前、富谷JCTから仙台北部道路に抜け、来年の開催地である多賀城市を高速道路から眺めてすぐ、仙台港北I.Cで一旦三陸道をおります。

ここで降りて、買い物するところ…といえばひとつしかないですよね。そう、「三井アウトレットパーク 仙台港」にやってきました。もう片手で数え切れないほどは来ているのですが、ほしいものがあって買いにきました。

それは…靴です。前のスニーカーはもう2年近く(?)履いていてもうぼろぼろ。いろいろな行事に参加する相棒の一つでしたが、かなり靴底もヘタってきて、洗っても落ちない汚れもあるし、2年も使って履き続ける理由ないや…ということで、新しいのを求めにきました。

この十数日前、「三井アウトレットパーク 木更津」に出かけ、そこで目星を付けた靴はあったのですが、やめにしたのですが、家に帰ってきてから「買っとけばよかった」と後悔が募り、同じものはないと思いながらも、似たようなものであればいいや…と思いながら買いに行きました。

お気に入りの靴はありましたが、靴のサイズが26.5cmだったわたしはお気に入りの靴の26.5cmを履いてみたらガバガバ。店員さんと話しながら、26cm、25.5cmと縮めていきましたが、店員さん曰く「革は使っていく内に伸びますから…きついぐらいのほうがいいですよ」と言われ、25.5cmの靴を買うことに。そのあと、「革靴もう一足買うとおトクですよ!」と言われ、父親の会社通勤用の革靴を半額で買うことができるので、それも追加して、お買上げ15,000円也~!いい買い物をしました。

時刻は17時を周り、日が落ちてきて、仙台港I.Cから仙台東部道路常磐道を乗り継いでいわきへ。常磐道はいわき中央~岩沼間の130kmが片側1車線で、これはいわき~仙台間の150km中のほとんどを占めます。もっぱら、常磐道自体は東京方面からいわきがもとそと終点扱いで動いてきたので、いわき以北は休憩施設が少なかったり、交通量も少なく計算されています。ところどころ追い越しもありますが、追い越しても前が詰まってるのはいつものことなので、無理せずのんびり帰りました。途中相馬近辺で事故の第一報があることをハイウェイラジオで聞いていましたが、誤報でした。片側1車線の対面通行は事故に遭った時が怖いので、用心しながら走りますが、やはり中央分離帯があったほうが安全ですよね。この130km中40km余りが今4車線化工事していますが、完成までは数年がかり。平日の通勤時間帯には東電関係者が多いのか渋滞も起きているし、いっその事復興関連で全区間4車線化してしまえ!と言いたいですが…高線量区域が区間から抜けているのでそういうこともあるんでしょうね。

そんなこんなで20時近くなって家に着き、私はご飯を食べてすぐ寝てしまったのでした。

<おわり>

 

(…数日後)
ところがどっこい、翌日から履き出した新しい靴、予想以上にきつく靴擦れを起こしてしまいました。右足がきつかったらしく、かかとには革が剥けて血が出て、歩くのに変な歩き方に…。1ヶ月たった今でもちょっときついですが、9,000円出して買った靴なのでうまく付き合うことにします。

青年のつどいで優勝商品として頂いた「フランス・ボルドー産」のワイン、家族みんなでおいしく頂いております。(正直なところワインを飲むなんて初体験でした。)

【行事参加レポートVol.6-4】第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま~<3日目>

■第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま
=主催:一般財団法人 全日本ろうあ連盟一般社団法人 全国手話通訳問題研究会
 主管:社団法人 広島県ろうあ連盟特定非営利活動法人 広島県手話通訳問題研究会=
2017年8月18日(金)~20日(日) 広島県福山市 ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ福山市立大学

3日目。最終日です。

流石にシャトルバスに間に合わせました!福山駅構内を抜けて、北口からバスに乗って10分、いや13分揺れて、市立大学へ。

3日目の分科会は30分早く9時スタートしました。

2つのレポートの発表があり、また福島でのN-Actionの取り組みの状況を2日目の分科会で行い、一通り終わったところで、「全通研で若い人と先輩がともに活動するにはどのような取り組みを行うべきか?」と言った内容で討論を交わしました。

最後に、分科会の共同研究者の総評を経て、散会になりました。

 

11時に終わり、相変わらず暑い屋外に出て、目指すはリーデンローズ。閉会集会の会場は、開会集会と同じリーデンローズで行われます。

全通研次世代活動委員会の委員長さんといろいろ話を交わしながら10分、リーデンローズに到着。閉会集会が行われました。

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▲総評を述べる(一財)全日本ろうあ連盟・石野理事長

こども集会や、次に開催する沖縄への引き継ぎを終えて12時前、閉会集会を終えて全日程が終わりました。

 

毎年感じていること、それはこの集会は今の自分にとってとても必要だと思うこと。全国から1,000人ものろう者・手話通訳者が一堂に会すること、これはとてもすごいことだと思います。

ちょっといやらしい話になりますが、全通研の本部会費は6,500円。これには全通研が開催する行事への参加権利、機関紙「手話通訳問題研究」年4回分、あとこの集会の参加費減免です。この全通研集会の参加費は一般参加で9,000円。夏集会として討論分科会がない時代だった2014年の福島・郡山集会でも8,000円、自分は地元開催のとき会員ではなかったので一般参加費払って参加しました。

これが、会員になると6,000円まで下がります。ということは、この集会に参加すると全通研の本部会費は実質3,500円に下がるわけです。年4回の研究誌が500円だとしても、実質1,500円になるわけです。

なぜ、この話を引き出したか、というと、全通研に入りたいと思う学生や若い人は、どうもこの会費がネックになっているようなのです。仕方ない話かもしれませんが、こうやって紐解くと、決して高いものではないと思っています。

もちろん、全通研集会に参加するには、交通費・宿泊費・食費etc...とさらにお金はかかりますが、2014年の夏集会に参加して以降、私は4年連続で参加し続けています。毎年毎年、安否確認じゃないけど、それでこそ新しく接する顔ぶれもあるわけです。東北から九州の仲間を作ることだってできるわけです。

今の手話通訳者活動の大きな支えにどれだけなっているか…。仲間のチカラは偉大だと感じますし、さらに言えば偉大な仲間たちと活発な議論が交わせることそのものがとても楽しいのです。

おそらく、また第51回集会でも同じようなことを言ってると思いますが、控えめにいってこの集会はやっぱりいいものですね。

 

で、集会が終わって、さてどうするか?と。

はい、鞆の浦にいくことにしました。というのも、青年部中央委員さん皆さんで鞆の浦までタクシー観光するというのでご一緒させてもらうことに。

福山駅からタクシーに乗り、40分。途中タクシーの運転手さんがおっしゃっていただいた観光情報などを適宜通訳しながら鞆の浦に向かいました。

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鞆港に寄港する定期観光船

ちなみに、帰りの道中で、「お好み焼きが美味しい店知ってます

か?と聞いてほしい」とご一緒したろう者に言われ、タクシーの運転手さんに聞いたところ、「大阪と広島どっちがええのん?」と言われてしまい、さらに「ここ(福山)な~、大阪も近いから大阪のお好み焼きも多いねん」と。駅前にポツポツあるそうで、ぜひ楽しんでな~と。

結局そんなことはさておいて、14時40分頃に福山駅に到着し、鞆の浦ぷち旅行終了。

 

本来ならもう少し滞在することができるのですが、遅くなればなるほど混雑が激しくなると思った(というのも、すでに指定席が満席だったり)ので、早めに帰ることに。みなさんご飯を食べに行った中、先に帰らせてもらうことにしました。

で、どうやって帰ったか、というと…。

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▲上が乗車券、下が特急券
 
JRのエクスプレス予約で買えるe特急券でも福山からのグリーン車が11,490円で乗車券とほぼ同額。

はい、漢にグリーン車で帰りました…。
(だって普通車指定席満席だったんだもん、自由席に揉まれたら負けると思ったんだもん)

福山を出て、次の停車駅が岡山でしたが、岡山で隣のホームに鎮座するN700系16両編成…。そう、東京行きのひかりが待っていたのです。

あーしまった。これに乗れば無駄な出費しなくて済んだじゃん!と。

まぁ、そんなことは過ぎてしまったことなので、京都出て新横浜まで寝てしまいました。

指定席は東京駅まで買ってありますが、品川まででも値段は変わらないですし、品川で降りたところで損することもないので、品川で降りて常磐線に乗換。

21時10分、自宅に着き、今年の夏が終わりました…。

 

また来年!(あと4ヶ月後)

(来年につづく)

【行事参加レポートVol.6-3】第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま~<2日目>

■第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま
=主催:一般財団法人 全日本ろうあ連盟一般社団法人 全国手話通訳問題研究会
 主管:社団法人 広島県ろうあ連盟特定非営利活動法人 広島県手話通訳問題研究会=
2017年8月18日(金)~20日(日) 広島県福山市 ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ福山市立大学

2日目の始まり。7時ごろの起床でゆっくり支度しながらの朝。

今回の講座・分科会会場は、福山駅から車で10分~15分ほど離れた福山市立大学。実は今回の開催にあたり、福山市内の大学には全部断られたそうです。福山市長さんの懸命な説得もあり、開催にこぎつけたとのことでした。

 

路線バスに間に合わず(福山駅8:45発)、ヘイ!タクシィ!で市立大学へ。タクシーの運転手さんが「今日は市立大学でなにかあるんですか?」と聞かれ、「ちょっと研究大会がありまして~」と。

そんなことで9時15分ごろには到着し、第5分科会のチェックインに。既に分科会の中には全国N-Actionのメンバーを見かけたり。軽く雑談しながら、9時30分分科会がスタートしました。

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第5分科会には2つのレポートが予め提出されていました。一つは広島からで高齢者とのつながりに関すること、もう一つは静岡から静岡市役所内における手話サークルについての報告で、それぞれPPTを使いながらの説明がありました。

詳しい話は、報告レポートに掲載されていますので、大まかなことは省きますが、広島では戦時中地図から抹消された島があり、そこで従事されていたろう男性とのつながりについてのレポートでした。少子高齢化社会や地方部の限界集落が悲鳴を上げる中、地方部においてのろうあ者と手話通訳者のつながりは生命維持の上でも重要なことです。そのヒントをお互いに学ぶことができました。

また、静岡の報告は、静岡市役所内での手話サークルを毎週1時間程度開設して、既に20人程度の会員がいるという報告でした。地方部では手話サークルの高齢化も進行していますが、私から福島・いわきの状況等を説明して助言をさせていただきました。

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▲今集会の2日目昼食弁当。毎年毎年写真に納めておくと地域の違いが見えていいですね

 

午前中に広島の発表、お昼休憩を挟んで静岡の発表がありましたが、そのあとN-Actionに関することでレポート提出がなかったということで、福島から発表してほしいと依頼されたので、発表を聞きながらPPTを作りかけましたが、時間が間に合わず断念。仕方ないので、前日に京都に送った資料を元にいろいろ説明しましたが、盲目的になっていたポイント等を指摘していただき、これからの活動のヒントになることもできました。

全通研は年齢を問いません。18歳(それ以下も可?)から60・70・80と上の上限もなければ下の下限もありません。そういった中で、N-Actionを設立する中では「若者だけの組織がなぜ必要なのかわからない」といった意見も飛び交いました。しかし、今N-Actionができたからこそ、非公式ではありますが「アッパー60」という同世代のつながりができたり、また「未来を拓く委員会」の発足もされています。

私はN-Actionの発足はやらなければいけないことであった一つにすぎないと感じています。それは今の手話通訳者業界の高齢化も進行しているし、将来の活動の担い手も十分ではないからです。若い力が鼓舞すれば、ベテランさんも負けじと鼓舞する。そのような取り組みの中で組織が発展していけばオーライだと思うからです。

 

そのような話が交わされながら、二日目の討論は終了。時刻は16時30分になり、N-Actionのつどいにお邪魔することに。(実はこのときメンタルボロボロでした。)

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▲N-Actionつどいの様子。顔載せていいかわからんのでぼかしをかけています。
 
ぼかしをかけているのは悪いことをしたからではないです、一応断っておきます。

このN-Actionのつどい、三重集会を皮切りに、3回目の開催がされてきました。昨年は組織的な都合があり、叶わなかった内容が今年広島にて行われることになりました。それは、一般財団法人全日本ろうあ連盟青年部の発表があったという点です。

つどいが始まり、まずは組織担当者アンケートのまとめが発表されて、N-Actionが発足

した(と正式に地域が認めている)地域が発表されました。

*1

北海道・東北・北信越・中国の各ブロックでまったく発足していない以外は、残る5ブロックで発足されていたり、ブロック内の地域で発足しているなど、ほぼ全国的な広がりを見せています。このうち、発足していなかった北信越ブロックは新潟で9月に発足報告があり、残るブロックは北海道・東北・中国と3つになりました。

また、組織担当者からの率直な意見等も伺えることができ、これからわたしたちは親団体とどのように取り組むか等についても理解や納得を深めることができました。

そのあと、(一財)全日ろう連青年部からの発表で、昨年50回目を迎えた全青研の取り組みなどのPPTを交えて説明がありました。

そして、時間が多少あったということで、N-Actionの活動をしている茨城・京都・大分から設立等に関する取り組みについて振り返り、あっというまにつどいの時間がおわり。

 

このあと、みんなでバスで移動したり、ヘイ!タクシィ!(とはならず呼びまくりましたが)で、各自福山駅へ。わたしたちは最後までタクシーを待っていたこともあり、定時には遅れましたが5分遅れで交流会会場へ。

乾杯を済ませて、いろいろな話題で盛り上がり。結局つどいの交流会を1次会と数えると2次会、3次会?まで突入。時刻は25時半でしたが、みんな積もった話をしていたようで、物足りなさそうでした(笑)。

真夜中2時ごろに福山駅前を歩きながら、ホテルに戻り2日目終了。

(つづく)

*1:補足:この中で、福島でN-Actionの活動が始まっているという報告がされましたが、2017年8月19日現在では発足していません。福島支部におけるアンケートの回答に誤りがあったり、質問の意味を間違えて履き違えていたりした結果です。正しくは2017年10月現在でも発足していません。