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Dailog - ダイログ -

ろうあ者や手話通訳、時には時事ネタも突っ込む20代の次世代手話通訳者×全コーダが書くブログ。基本週一更新予定。

【行事参加レポートVol.4-3】第49回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in かながわ~<2日目/C講座Ⅱ−1>

 ●第49回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in かながわ~
=主催:一般財団法人全日本ろうあ連盟・一般社団法人全国手話通訳問題研究会=
2016年8月19日(金)~21日(日) 神奈川県横浜市 神奈川県民ホール横浜国立大学など

 

<今回の部分>
8月20日(土) C講座Ⅱの前半

 

講座2コマ目です。いわゆる「地元関係者生え抜き講演」で、地元の神奈川通研の会員さんによる講演でした。

テーマは「医療に関わるコミュニケーション〜病院の中と外から〜」で、医療関係に関わっている手話通訳者2人が講師となりました。

まず、最初の講師は、神奈川県手話通訳問題研究会の医療班所属している会員さんです。大きな内容は医療班として活動していることでしたが、全体的に講演を聞いたあとに感じたことはまさに「命の恩人」に手話通訳者はなり得るということでした。

神奈川県手話通訳問題研究会の医療班は、手話通訳者はもちろん、歯科衛生士や歯科医師聴覚障害がある薬剤師や医師、さらには看護師もいる中で活動しているようです。

例会にて医療に関する手話を学び、イベント会場で健康相談を行うという流れが確立しているようです。イベントというのはおおまかにいうと、ろうあ者大会が大きなところで、健康相談にやってくるのは20〜60人ぐらい、幅がありますが、昔は来ても20人しかこなかったようです。このブースがあることをわかってくれるようになってから人が増えたとか。

 

続いて健康相談をしてくれた方の事例について。まず男性60代のAさん、高血圧、糖尿病、心臓病を持っていますが、健康相談ではリピーターとして来ていただいてる方。月1回必ず定期的に循環器内科を受診し、内服治療中。通食事や薬の内服にも気をつけているから大丈夫だという話でした。数字も全く問題ないのに、医療班から「息切れしない?」と質問をしたところ、「そうなの」と訴えた。このことから始まり、足もむくんでいて歩きづらいとか。医療班から先生方にお伝えしたらどうか?とその方に提案したが、コミュニケーションに不安を抱えているのか、なかなか言い出せそうにないと。医療班の通訳者を呼んで一緒に連れて行ったらどうかという話をして声をかけ続けているという話でした。

次の事例は女性70代、高血圧と肩の痛みがあり、肩の痛みの治療のために整形外科に通院中というかたです。この方も通訳は呼びません。いつも一人で病院にいくそうです。もらっている薬はなんですか?と確認してみると、湿布や痛み止めとは疎遠の胃薬をもらっていることが判明。本人に聞いたが、なぜ胃薬なのかわからないという。そういう人もいます。ちなみにその方は高血圧を治療をしていないので、診察を受けてもらうように説得したそうです。

 

健康回復のきっかけになった事例もありますが、健康維持の観点で訪れる方も。もうすぐ90歳になる男性は、若いころろうあ運動に精力的に活動してきましたが、毎年いらっしゃるとか。大きな病気はなく、年に1回定期検診をうけ、そして健康相談にやってくるそうです。

これらの事例以外にも、夜寝る前まで食べたり、食事のバランスも考えていないという人も。元気そうにしていても血圧が190を超えている人、220もある人もいたり。不整脈の人、手話を使っただけで息切れする人、そういう相談を受けたりするそうですが、病院の受診を勧めます。必ず病院にいくっていうのは簡単、しかし手話通訳者を呼ぶこと、先生とちゃんとコミュニケーションをとるということも大事だと。自分の症状をはっきり伝えられず、そしてもらう薬の内容がわからない。理解できない。苦しんでいるのに時間がもったいない。

 

医療班の方は、医師や看護師など仕事をきちんとしている傍らで、健康相談の時は医療従事者として毅然と対応しているという。手話通訳の必要性が一般の人よりわかるからこそ、受診が必要な人には手話通訳が必要だということを訴え続けているそうです。

先ほどの足がむくんでいた人も、すぐに通訳者を連れて病院に連れて行ったら、先生とコミュニケーションが取れていなかったことがわかりました。食事療法も始まって、なによりもその症状を持ってる方が一番楽になったのです。

リピーターじゃなくても、何かおかしい、じゃあ病院行こうという話になってそのまま手術になった人もいるとか。

 

この医療班の話、私はすごく大事な取り組みであると考えています。ろうあ者が手話通訳者を呼ぶ場面、それは何が一番多いかと思えるかというところにつながってきます。

役所で色々申請や手続きをする際にも必要ですが、自分の健康を守るための場所に意思疎通できないということは本来あってはならないのです。病院側も大きな病院では設置が進んでいますし、その話もこの後しますが、設置の進んでいない病院や地方部の病院は大きいところであっても設置されている例はごくごく一部です。その中で、手話通訳を呼ぶのがめんどくさい、プライバシーの観点からという中で通訳を呼ばないのはもはや勿体無いとも言えるでしょう。

このような解決されていく事例、健康相談があったから病気が見つかったという人もいましたが、なによりも「助かった」という声こそ、医療班が必要な理由にも直結はしていきます。

私個人としてはこの話を伺う前、医療班は医療に特化した手話を学んでいく研究班か・・・。とだけは思っていましたが、ろうあ者と共に生きていくという言葉そのものを表したような研究班であると再認識しました。

講師チェンジですが、長いので一旦切ります。

I have a pain in the shoulder.

できればいくら忙しいと思っていても、1ヶ月は絶やさずに更新しようと思っていましたが、気づけば1ヶ月過ぎてました。どうもありがとうございました。

 

先月から始まった勤務にもボチボチ慣れ、大きな仕事を任せられるようになったり、
仕事で地元に電話をする機会も出来てきました。

仕事というのは、好き嫌いがあるかもしれません。
好き嫌いがあるから、頑張れるのかもしれませんね。
ただ、今の自分は仕事は好きですね、頑張れるかどうかという論点は置いておいて、
やはり自分はろうあ者を支えていく仕事のほうが好きなんだと感じます。

 

さてはおき、肩が痛いです。
先週ぐらいからでしょうか、朝起きると右肩や首が痛いときがあります。
治ればいいとは思うのですが、長引いています。

枕が合わないんじゃないの?と母親に言われたのですが、
二年ぐらい愛用しているIKEAの枕ですので多分そんなことはないんじゃないかと。
ヨダレでぼちぼち新しいのに変えないといけないのは事実ですが(汗)

 

そんなこんなで、今日も東京に向かっております。
今週末は東北大会が青森県八戸市で開催。
行事が立て込んでいますが、一向に進まないのは参加レポートですね。
大丈夫です、レジュメは残してありますから・・・なんとかかけるはず。

 

P.S.私のことをいつも考えていただいている京都の大先輩が本日誕生日だということです、おめでとうございます。もう年はいらねぇと言われそうですが、いなかったら私は通研には入っていないです。いつもありがとうございます・・・!

【行事参加レポートVol.4-2】第49回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in かながわ~<2日目/C講座Ⅰ>

 ●第49回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in かながわ~
=主催:一般財団法人全日本ろうあ連盟・一般社団法人全国手話通訳問題研究会=
2016年8月19日(金)~21日(日) 神奈川県横浜市 神奈川県民ホール横浜国立大学など

 

<今回の部分>
8月20日(土) C講座Ⅰ

 

横浜市桜木町のホテルで宿泊して朝。

朝は6時半頃起床し、髪を整えて、それから着替えて、午前7時。

ホテルの朝食を食べに。ビュッフェスタイルでした。

 

今回のホテルは、母親と二人、二泊合わせて4万円超えというちょっとリッチなホテルでした。ビジネスホテルとはかけはなれたようなホテルでしたので、朝食は期待していたのですが、思ってより案外と言うか。なんか、微妙でした。

元々朝食付きプランを頼んでいたのですが、微妙というより、割に合わないなぁと思いました。結構ホテルによってまちまちですよね。美味しいところは美味しいのですが。

 

まず、朝食なのにご飯がない!これにはびっくりしました。

フレンチトーストが美味しかったので・・・ご飯代わりに。

 

ご飯を済ませ、部屋に戻り、歯磨きをしてホテルを出ます。

桜木町、横浜と経由して、天理ビル前のシャトルバス乗り場へ。

 

時間が時間で一番後ろの方に立ち席で入りましたが、「つめてください!」という実行委員会の声でどんどん億に・・・。

気がつけば、私の背より天井が低いところに入り、終始前かがみの体制になってしまいました。よっかかるところがあったのでなんとかもちましたが、もう入れないのに10分ぐらい待たされてちょっとおこ。

そうこうしている間に、バスは出発し、横浜国立大学へ。

受付を済ませて8時50分頃にはC講座の会場である経営学部の講堂へ。

 

9時30分、始まりました。

C講座の会場は、大勢の参加者で埋まりました。福島からは私含めて4人が参加していました。

まず注意事項のお話があり、残念なことにカメラでの撮影が禁止となりました。
カメラを持っていた自分はちょっとショックというか、残念ですが仕方ありません。

 

そして、早速講演に入りました。

C講座のⅠ講座目は、『言語権とは〜外国籍県民支援から見えるもの〜』と題し、講師は慶応義塾大学名誉教授の古石 篤子 名誉教授によるお話でした。

まず、講師の自己紹介から始まりました。講師は、流通経済大学(茨城県)で初めて教鞭を取ったのち、慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパス、通称SFCで1990年から24年もの間、携わってこられました。講師の授業などにおいて、学生は多くの影響を受けたらしく、「コミュニカティブ・アプロチのジャンヌ・ダルク!」と呼ばれることもあったそうです。近年では、2年前の2014年から慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスと上智大学でそれぞれ一コマ講義を持っているほか、聴講生として日々授業を聴講しているそうです。

 

もともとは、フランス語を教えてこられたそうです。そのほかにも小学校の他言語活動にも携わってこられて、現在も続けているそうです。現在、思うことは、やっぱり日本における外国語教育のメインが英語であること。外国には英語しかない、英語だけが外国語であるという先入観をもつ子供も増えてきていることを残念に思うと話されていました。最近では、駅の表示には、中国語の簡体語、さらには韓国語などもあったりするので、子供達がそういったことに自然に気づいて欲しいということも話されていました。

 

先生が、他言語活動に携わったきっかけというのが、外国につながる子供達の日本語教育と学習支援。その困難さと混乱さがきっかけで、取り組んでいらっしゃいます。

ろうの子どもたちの教育について。あるとき、人権救済の申し立てをしたとき、友人のジャーナリストに「面白い会合があるから」と騙されて飛び込んだそうです。それまで、「ろう」という世界を知らなかったらしいのですが、飛び込んで言語権の話をしたところが最初の接点だとか。カナダへ行って、バイリンガル教育の視察をしたこともあるそうです。

 

ここまでが前置きで、続いて本題に入って行きました。

前にFacebookで、「日本は農耕民族である」という話をしたのを思い出したのですが、最初はちょっとそことかぶさる部分があります。

日本というのは多様性を許容しにくい日本であることにまず触れられます。小さいときから周りに合わせることが前提であるから、自分と何か違う人を許容できない。それが日本人であり、「みんな同じ」「出る杭は打たれる」という謳い文句にもある通りです。

文化的で言語的背景が一緒になったとき、違う人同士の価値観をどのようにして乗り越えるのか、またその乗り越え方を生得するのかというのは難しい問題であるとも。

 

日本において、母語は日本語、外国語は英語という、二重の単一言語主義の考え方が強い。そのようなメンタリティが社会全体で構成されて、それ故に許容性を許容しないというのに重なってくるとも。講師が前に韓国に行ったとき、韓国で日本語をしゃべらされたそうです。周りから見れば、あなた日本人だとわからされたそうだが、そのように思った人が日本語を話せるということにびっくりしたとか。韓国では、第二外国語教育を中学校から始め、日本語が圧倒的一番人気だそうです。

 

言語教育の中で流行っているのが、複言語主義という考え方。これは一人の人間が複数の言語を使えるようにするということ。完璧は求めないが、コミュニケーションのリソースとしては最大限に使うこと。幾つかの言語を持つことはやはり必要であるということでした。

そうなると、外国語教育はなぜ複数必要なのかという話になってくる。これは複眼性を持たせるためであるそうです。世界をみるときにいくつかの武器や手段があると、そのモノの本当の姿に迫れるからで、外国語が一つと決めつけるとその外国語から得たものが絶対化してしまうデメリットがあるからだそうです。

モノを相対化できることは非常に重要である。相模原の障害者施設で残酷な事件が起きたが、あれが一回きりにとどまらないかもしれない。なぜなら、口にできないようなことを平気で攻撃したりするのは、多様性の異なった人を受け入れることができないという、日本人特有であるからともみることができるからである。ISのように世界をみると珍しいことでもなくなってきたが、日本でも同様な事件が起こるかもしれないし、小規模な事件(=相模原の障害者施設)でも起きている。今社会に求められているのは、自分と違うということを受け入れることができる社会を作り上げていくことではないだろうか、という話でした。

 

次に、講師が務めている、かながわ国際政策推進懇話会の話です。年数回に様々な分野の方をお招きして、外国籍住民の方が神奈川県で入り馴染むには、どのようにすべきかを知事に提案・提言しているそうです。

それに対応させて、神奈川県に住んでいる外国籍住民の人が、いろんな分野に意見をいう機会、外国籍県民かながわ会議というのもあるそうです。これは選挙権がない外国籍の方々とお話しできる貴重な機会であるそうです。

 

今の日本の人口の外国人比率は1.7%だそうです。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスが出来たときに、入管法が改定されて、1992年には外国人の比率が1%を超えました。しかし、他の国では、フランスでは5.6%が、ドイツでは約20%が外国人であるという。

日本における外国人比率が増えてくると、こんどは日本語を母語としない子どもも増えてきます。ポルトガル語や中国語、フィリピン語を母語としている子どもたちが多いとか。制度の問題では、日本における教育というのは国民教育がほとんどであるので、外国籍の方が行くとお恵みのような形になるそうで。憲法26条では「すべて国民は…」と規定されているように、文部科学省では文言説を取り、日本人だけが対象という考え方でいるそうです。教育そのものが人間における基本的人権であることを考えると、日本人か外国人かで制限するのは望ましくないという考え方だってあるということも。外国籍の子どもたちの不就学という課題にもぶつかってくるそうです。

アメリカやカナダにおいては、労働ビザを取る、いわゆる移住してくるとなると、子どもの就学義務が課せられるそうです。超過滞在などになると、子どもを通じてバレるとかバレないとか。日本はその点、児童の権利に関する条約に国会承認しているが、矛盾があるそうです。

 

言語権の話に入るのですが、法律では(1)言語に基づく差別の禁止、として宗教や人種と同じように禁止するのか。それとも(2)自ら使用したいと望む言語の使用、いわゆる自由権という形態が分かれます。言語権という言葉自体は生来日本には存在せず、アメリカからの言葉であるそうです。しかし、やはり人間にとって言葉は欠かせませんよね。人権レベルだと思うと話していました。

 

ろうの子どもたちの言語権。ろう児の定義を話されていましたが、言語獲得前に聞こえなくなった子どもを指したいと断った上での話でしたが、ろうあ者とは日本手話と呼ばれる日本語と異なる言語を話す、耳の聞こえない言語的少数者と呼ばれるそうです。音声日本語(音声言語としての日本語)を第一言語とする多数派に対して、言語的少数者と呼ぶそうで。

日本の憲法では、言語権の規定もなければ、日本語を母語とする規定もない。法の下の平等では言語が含まれていないが、学習権という形で判例が出ているらしく、それに似てろう児の言語権を主張されたそうです。

 

こういった話で進められてあっという間の時間でした。

 

感想を述べます。

この夏集会に向かう前、前回のブログでも述べたように東京に滞在していました。

そのとき、大学の講義などがあって、たまたま英語学習とつながる言語獲得の話が出ていました。

言語獲得の基本は、3歳から5歳が基本であるとその講義の担当教員が述べていて、私としてはふむふむという程度でした。

実際私が手話を学び始めた、使い始めたのは5歳ぐらいであり、その過程を述べれば言語獲得の基本からは逸脱するのです。

多分多くの日本人は、生まれたときに親など周りの環境の下、日本語の言葉がわからなくとも耳を通じて何回も聞いています。その中で次第にことばを覚え、そして喃語を発音し、そして正しい日本語の単語や50音を発音するという過程がごくごく一般的と感じます。

手話言語の獲得に対する研究は進んでいるのか、それともまだまだなのか、あまり触れてはいないのですが、仮にコーダのような環境などで聞こえる子どもが手話を獲得する、また聞こえない子どもが日本語よりも優先して獲得するという話になると、この教授された言語獲得の基本からは間違いなく逸脱するものであるとも感じれます。

 

私がたまたまでた講義の担当教員は、日本語対応手話も一応言語として認めていますが、実際はどうなのかと。言語体型的には言語であると考えますが、手話の基本である「効率的なコミュニケーション」にはかなり程遠く感じます。その中で言語権として日本手話をきちんと使う環境が整備されていくことが必要であるとあらためて感じることもできました。

日本でバイリンガル教育というと、明晴学院を思い浮かべますが、バイリンガル教育を受けた子どもたちが実際に社会に出たとき、どのような形でバイリンガル教育のメリットが出るのか。欧米諸国で行われているバイリンガル教育と同程度の効果が見えるのかどうかといったところも気になりました。

 

手話という言語文化を守るために、必要なことはそれを学ぶ、使う環境が整備されることです。言語権ということばが日本にもっと広がれば、守る環境もかわっていくものだと感じながら、お昼やすみのお弁当を食べていました。

 

Ⅰ講座目はこれで終わりにします。

【行事参加レポートVol.4-1】第49回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in かながわ~<イントロダクション>

 ●第49回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in かながわ~
=主催:一般財団法人全日本ろうあ連盟・一般社団法人全国手話通訳問題研究会=
2016年8月19日(金)~21日(日) 神奈川県横浜市 神奈川県民ホール横浜国立大学など

<今回の部分>
8月19日(金)

 

鈴鹿の地でみて、感じて、未来を語り合って、あれから1年。

今年は神奈川の地で人と心の和を、つなげて、ひろげる機会がやってきました。

 

二年前、福島集会(当時は全通研非会員)から三年連続で参加。

今年は4月に障害者差別解消法の施行、障害者雇用促進法の改正などにより、日本、全国において障害者制度の改革が大きく進められています。

今回の講座や分科会の大半が、この”差別”などに深く結びついている集会になりました。

 

また今年の集会は、次世代活動をするわたしたちにとっても大事な集会になっています。毎年大事とは言え、昨年発足した次世代活動委員会とともに、一年の活動はどうだったか、再確認する場でもあります。N-Action(次世代活動委員会)のつどいは、詳しくは後ほどにアップロードしますが、やはりわたしたちの活動にとっては切っても切れない関係になりつつあります。

 

8月3日、朝4時40分。自宅。

荷物をいっぱい抱え、ひとまず茨城県のJR高萩駅へ向かうことに。

というのも、8月3日から集会一日目の19日まで二週間半ちかく、大学の所用などによって東京滞在になるため、全通研集会の準備も含めて、移動することに。

 

一気に時間軸をワープして、8月19日。17時30分に予定の所用がすべて終わりました。

今回の集会の参加は、自分ひとりだけではありません。母親も初めて参加することになりました。

ひたち22号(東京18:44着)に乗車してくる母親を迎えに、東京駅へ。

そのあと帰宅ラッシュに揉まれる東海道線に乗って、横浜駅

京浜東北線に乗り換えて、ひと駅。みなとみらいの玄関口、桜木町駅に到着して徒歩10分程度。二泊お世話になるホテルに到着です。

 

今回の集会(から?)、実行委員会や旅行会社が希望する参加者のホテルを取りまとめるのではなく、参加者各自でホテルをとるという形になりました。

参加者の大半は、みなとみらい地区(桜木町馬車道・関内)、元町地区、鶴見、川崎、新横浜と宿泊地が分散する形になりました。中には東京に近いという土地柄の上で、一都三県の知人宅に宿泊するという参加者もいました。

 

一日目、関内駅近くのロイヤルホストで母親と夕食。私は、ハンバーグ定食みたなのを頂きました。

そして、薬局で\78という破格の「生茶」(大好物)をストック買い、セブン-イレブンによってアイスを買ったりして、準備完了!ホテルに戻りPCの充電もしながらそのまま就寝。

 

19日(金)終了。二日目(20日)のレポートは次回以降でお伝えします。

 

 

【行事参加レポートVol.3-1】第42回東北ろうあ青年研究討論会(1日目)

●第42回東北ろうあ青年研究討論会
=主催:東北ろうあ連盟青年部=
2016年7月30日(土)~31日(日) 宮城県大崎市東鳴子温泉郷 鳴子公民館・旅館勘七湯
[7月30日(土)](この記事で伝えるところ)
▼13:00~13:30 開会式
▼13:30~16:30 記念講演(1)「女性視点からの青年部活動について」
▼18:30~(21:00) 交流会

 

お待たせいたしました。東北青研の行事参加レポートです。

福島からは、青年部中央委員1人、東北青年部役員2人、一般青年会員2人、通研1人の合わせて6人が参加しました。

いわきから鳴子温泉というと、時間でいえば最低3時間ぐらいの移動になります。

 

当日の朝、6時頃起床。最寄り駅7時前に出ようと思ったら半分寝坊で間に合わず。

高速道路でショートカットするチート技を使い、それでも1本、30分遅れの高速バスにのって、郡山に移動しました。

10時07分のやまびこ号で古川駅に向かいました。
仙台止まりのやまびこが多いのですが、時間的にもちょうどいい時間で、盛岡行きがあり、便利だと思いました。

そのあと、古川駅に11時03分に到着。ここからは気動車に乗って、鳴子御殿湯駅を目指し、12時ちょっと前、無事会場最寄駅に到着しました。

 

最寄り駅である鳴子御殿湯駅は1面1線の小さな田舎駅です。階段がないので、とてもバリアフリーで、自動改札なるものはありません。

ワンマン列車で、列車進行方向一番前に行って、切符を渡して降りる形。

全国各地からわざわざお越しいただいた青年部の中央委員のみなさんは、この仕組がわからず、ドアが開かないことを不自然に思ったようです。

 

鳴子御殿湯駅について、東北の青年部の役員さんがお迎えに来てくれました。

駅から講演の会場は歩いて5分という便利な場所でした。が、お昼ごはんを食べていなかった私たち、到着した全国青年部中央委員のみなさんと、ご飯を食べに出かけました。

そんなこんなで13時ちょっと前になり、無事始まりました。

 

参加者は36人(プラス特別参加という子供達2人)とちょっとさびしい気持ちもありましたが、開会式では、東北ろうあ連盟青年部長さんの挨拶、大会宣言と続きました。

そのあと、13時半より、記念講演の1つ目が始まりました。

講師は、一般財団法人 全日本ろうあ連盟 青年部 中央委員の青山 裕香子 氏による「女性視点からの青年部活動について」というテーマでの講演でした。

 

大きく二部構成という形にはなりましたが、まずは青年部の紹介や活動の内容をお話し頂きました。特に、肝になったのは青年部活動の三本柱「仲間づくり、学習づくり、要求づくり」が大きな内容でした。

青年部のテーマ「未来は青年のもの」とあるように、やはり今から動き出さなければ!という意思をすごく感じる講演でした。

次に、講師の活動についてお話しいただきました。日本のみならず、海外への行事参加もあり、世界ろう連盟の青年部行事にも日本代表として参加されており、今までの活動や、今実行中の話しとかもいろいろお聞きすることができました。

 

お話しを聞いていて、心底ビックリしたものがあります。今、世界には192の国と地域があり、アジアはそのなかで約50の国と地域があります。しかし、日本でいう全日本ろうあ連盟のような協会や連盟は、アジアだけで20~30の国と地域でしかないということでした。

小さな国では、運営もとても大変だろうなぁと思い、やはり日本からアジアへ、という考え方もうなずけるようなお話を頂きました。

 

そのあと、青年部活動の三本柱を中心としたワークショップが行われ、参加者36人を4つのグループに分けて、それぞれ話しあいました。

私の班は、「要求づくり」が大きなテーマで、聞こえる人はわたし一人でしたので、ほとんど静観していたようなものでした。

班での話しでは、
参議院選挙の政見放送
▼テレビの字幕放送

といった内容が話題にあがりました。

 

参議院選挙が7月10日に行われました。多くの地域では、県単位の選挙区においては、手話や字幕放送がなく、地域でビデオ学習会といったものが行われていたと思います。

私も震災前、何年か前にビデオ学習会をチラッと見せてもらったことがあります。

班の中で、岩手県から参加された方がいて、今年の選挙ではビデオ学習会がなかったという話しを聞きました。

これで、聞こえない人が情報取得に詰まり、中には今年参政権をもらったばかりの18歳(?)20歳(?)の女性が、選挙で誰に入れていいのかわからず、結局両親に頼って両親と同じところに入れたなんていう話しを聞きました。

 

選挙公報といった新聞である程度は取得できるのではないかという話しが上がりそうですが、やはり政見放送は重要です。選挙公報は単なるまとめに過ぎず、やはり立候補者の心意気ややる気などは政見放送を通じてでないと、なかなかしれないところがあります。

私は都合により今回の選挙は、期日前投票のため選挙公報しか見ませんでしたが、(全国比例は時間のあるときにNHKのを見てました。)やはり、聞こえない方の参政権の獲得にはまだまだ大きな課題があると感じました。

 

また、聞こえないこどもたちがよく見るアニメにも字幕が入っていたり、入ってなかったりといった声などもあり、聞こえない子供達が楽しめるには字幕放送が欠かせません。しかしながら、映画とかになると、字幕の付与を拒む映画監督がいるという話しも聞き、映画監督らしいこだわりにすぎないと思いますが、やはり聞こえていても聞こえていなくても、娯楽を楽しむ権利は平等です。決して、聞こえないなら見なければいい、といった安易な考えに陥るのは、偏見ともいえます。

 

他の班では、学習会の参加条件はどこまで許されるのか?や、仲間を増やしていく機会をどうやって作っていくかといった話しが広がり、東北の青年部のみなさんの気持ちは熱い、まさに東北魂全開の討議があったことを印象づけられました。

 

そのあと、記念講演を終えて、会場から歩いて5分の旅館勘七湯に移動。

会場から5分歩くだけでも汗ダラダラで、少し部屋で休んでから、鳴子温泉を堪能しました!

交流会では、手作り料理が振る舞われ、大きな交流になりました。

 

特に、今回中央委員のみなさんとお話する機会があったことで、いろいろな話しをさせていただきました。中央委員のみなさんそれぞれが思っているやりたいこと、私がやりたいと思っていること、いろんな熱い話しを交わしました。お酒が入っていたこともあって、東北の青年会員のみなさんにもぶっべらぼうにいろんな話しをしました。すごく熱い、本当灼熱の地獄のようにべらべら話していたと思いますが、それだけ伝えたい思いが強かったんだろうなぁと思います。どこでスイッチが入ったのかはわかりませんが、多分ワークショップのとき、熱い議論を交わしていた参加していたみなさんの姿を見て、負けじと火を噴いたんだと思います。

 

ビールは缶ビールでストックがありましたが、チューハイ類はあっという間に底をつき、最後はアップルジュースを片手に様々な話しをしました。

気がつけば21時、22時、23時、24時、1時、2時・・・

時間を負うごとに交流会会場から人の数は少なくなっていきましたが、最後に成るについて、一つの集団となり、丸くなっていろんな話しをしていました。

 

今回、東北青研に参加して、交流会で参加した皆さんと話したことの中に、一つ重要なことを僕は中心的に話しました。

それは、将来を担う手話通訳者が勉強できる、学習できる機会をもっと作らなければいけない、ということでした。

お調子者がこんな話しをしても仕方ない気は正直話す自分でもわかってはいるつもりなんですが、今やらないで誰がやるんだという話しにもなってきます。小心者ですから、心臓はバクバクです。普段スラスラと手話ができるのに、その手も震えるほどでした。でもそれだけこの思いは強いです。

 

特に何回も繰り返した言葉があります。「10年後、20年後、30年後、手話通訳者は誰がやるのか」ということです。

今、やらなければ、今青年部として活動しているろうあ者も情報獲得の手段を減らします。手話通訳という職業はろうあ者のためだけではありません。読み取り通訳をする人がいなければ、社会で大きなダメージを喰らいます。

将来を担う手話通訳者の問題は、聞こえる人だけが担う問題でもありません。聞こえない人も一緒に考えてこそ、”両輪”という関係が生まれるのです。

 

例えば、車があって、右側だけ、もしくは左側だけしかタイヤがなかったらどうでしょう。車のディスクブレーキが地面に乗っかり、エンジンを付けてアクセルを踏んでもブレーキを傷つけ、ボティは痛むのです。

簡単に表現するなら、タイヤは聞こえる人と聞こえない人、ブレーキは社会で聞こえない人の理解を頂いている方、ボディは社会全体です。

タイヤが簡単にはずれてしまったら車は走れません。未来には進めないのです。

 

今、青年部、そして通研がともに、次世代を担う手話通訳者の問題をどこまで考えているかは知りません。私は中央委員でもないですし、通研の上層部でもないからです。

でも一つ言えるのは、このままでは手話通訳という仕事をする人は確実に減る、僕はそう思うのです。

 

全国では、N-Action合宿のように、次世代を担う手話通訳者自身が学ぶ機会はあります。しかしながら、次世代のことを、年齢も関係なしに話し合える機会は今のところ少ないとしか言いようがありません。ぜひ東北から一緒に考える機会ができればなと僕はいつもそう思っていたりします。だからその思いを伝えることにしました。

 

もしかしたら、来年変わるかもしれない。でも来年も変わらないかもしれない。何かアクションを起こしてこそだと思っています。自分も他力本願ではいけません。自分からも少しずつ前に進めていくことが最重要であると考えています。

 

まずは二年後を目標に。最近の私の口癖ですが、2年後は全青研が秋田で、東北青研は福島県で開催されます。そのときまで、今からどこまでできるのか。自分が自分にまけないための勝負です。

 

そんな熱い話しをして、翌朝2時。流石にまぶたが重く、これにて交流会は解散しました。

 

いろんな話しをしましたが、コミュニケーションにとって大事なことは一体なんでしょうか。相手を思いやった話しをすることももちろん重要ですが、言いたいことが言えなければコミュニケーションは成り立ちません。自分と一緒に将来、一緒に活動をしていく”友”であるからこそ、熱い話しを交わすのも悪く無いはずです。そう思うことができました。

 

案の定、これで4000字をゆうに超えていますので、この記事はここまで。

【行事参加レポートVol.2-2】手話を広める知事の会設立イベント(午後)

引き続き、午後です。午後は手話言語フォーラムという形で行われました。

 

まず、支援団体の挨拶として、日本財団の理事長あいさつがありました。

「手話言語法」の必要性を改めて感じる、感じさせられるような講演でした。

あぁ、そうだなぁと感じさせられたところが常々ありましたが、特に感じさせられたのは、今の世の中が障害者にとって優しいと思えるようなまちづくりではないと感じました。

つまりどういうことかというと、例えばスロープを話に上げるなら、階段のあるところを削って、スロープを作る、つまり取ってつけたような形は、健常者に合わせることじゃないのかということだと思うのです。

障害を持った人が合わせる社会はやはりどうみてもどこかおかしいと思いますよね。

 

また、全国1788全自治体で手話言語法の制定に関して、法整備を求めるという主旨で答えを出したこと、これはやはり避けられない事実なのです。

 

そのあと、国会議員の皆様がたの挨拶がありました。名前は出しませんが、どこか意識が離れているような議員さんもいるなぁと心の中で感じてしまいました。

続いて、手話言語条例制定県である、群馬県や埼玉県、沖縄県、さらには神奈川県からの発表がありました。

どの県の担当者さんもおっしゃられていましたが、やはり「鳥取県には劣るが」という声が繰り返されていたのを強く印象づけます。やれることとやれないこと、やはりあるというよりも多いとは思いますが、それだけ鳥取県の施策は小さな一歩が大きいのだなと改めて感じさせられました。

条例制定はゴールではありません。広く県民に周知させて、理解を図ることが大事だと思います。そして、行政とともにやれることはやる、フィードバックして、よくないものは一緒に頑張っていい方向に持っていく。この繰り返しであると考えています。

もちろん条例制定を願うばかりです。願わくば全47都道府県、23の特別区、1718の自治体で条例制定されたら、この世の中は間違いなく大きく変わるものだと期待します。

 

その後、読売新聞大阪支社の編集委員さんによるミニ講演。

内容がすばらしく分かりやすかったところが印象深いと感じました。

特に、健常者と障害者を見立てて解説していたところ、二つのいわば社会が共存していくためには、お互いがお互いの弱点を理解しあって、お互いがお互いの使いやすい受け皿を作ればいいんだと話していて、さらに納得しました。障害をもったから、ではなく、障害がある人もない人も同じように文化を尊重していく、その一つに手話言語条例や法整備があるものだと感じました。

気がつけばという話にほかなりませんが、日本はまだデフリンピックの開催がありません。デフリンピックを日本で開催すれば日本国内は手話ばかりになって、政府もいいかげん目がさめるだろう、そういう話だったのですが。ちょっと考えてみました、という話から始まり、夏季大会は鳥取で、冬季大会は長野でやってみたらどうですかという話。こればかりは会場も笑いに包まれました。

 

それから、全国手話言語市区長会事務局長さんの話があり、取り組みについて説明がありました。

市区長さんからもやはり手話の魅力や文化の尊重があるという話が中心でした。広めなければならない。そう考えていますと話されている、その言葉には強い意思が隠されているなと感じました。

 

最後に、一般財団法人全日本ろうあ連盟石野理事長の総括があって、このフォーラムは締めくくられました。

予定時間よりも少しオーバーでしたが、限られた百数十名の手話関係者が集まったこのイベントは、決して無駄なものではなく、小さいようで大きい一歩でした。

手話言語法や手話言語条例は今の手話関係者にとって大切なものです。ですが、今だけの話ではありません。先輩方が築き上げた、そして否定され続けながらも必死に護り抜いた、いわば死んででも守りぬかなければいけない文化、言語です。

近頃、やっとわたしたちの願いどおり手話の魅力が、聴覚障害者や手話関係者のみならず、理解の域を超えて、知れ渡っています。その一歩が大きな差別是正へと結びつくものと確信しています。

大きな確信が、いつか革新に変わるように、これからも気を緩めず、運動を続けていくことが小さな努力であり、それが積み重なって、大きな努力として結びつく。その日を待ち続けて、共に取り組んでまいりたいと思いました。

 

福島県は、今まで「国の対応をみながら」という極めて消極的な対応を続けています。このことは前回でも書きましたが、今回この知事の会の名簿には記載されています。福島県の参加者としても、強く福島県の手話言語条例、まずは制定を願ってやみません。

 

大きな一歩は小さな一歩の積み重ねでもいいんです。最初の一歩が決して大きくないといけないなんてそんなのはありません。最初の目的地まで、みんなで舵を切っていきましょう。

 

(おわり)

【行事参加レポートVol.2-1】手話を広める知事の会設立イベント(午前中)

●手話を広める知事の会設立イベント・手話言語フォーラム

2016年7月21日(木) 東京都千代田区 参議院議員会館1階講堂
▼9:00~11:30 手話を広める知事の会 設立総会
▼13:00~15:30 手話を広める知事の会設立記念・手話言語フォーラム

<今回もひじょーに長ったらしいので、午前中と午後に分割します。>

 

時は、2016年6月30日前後まで遡ります。こまめに情報を得たいと思っている私、いや、暇だからサーフィンの片手間で、全日本ろうあ連盟のホームページを見ていました。

その時、「7月21日に設立するから、手話言語フォーラムやるぞ!」という文を見まして、これは行きたいなと。そう思っておりました。

しかしながら、木曜日は3限のみですが、大学があって、「あ、これはどうしようかな」と。

 

何を隠そう、翌週7月28日(木)は試験なわけです。試験一週間前に休むわけにいかんだろう?と思っておりましたが、担当教授に聞いてみたら、意外とあっさり。
「いってきていいよ」と背中を押してもらえました。

 

まぁそれで、行く気になっていたのですが、肝心の参加申し込みを忘れていたところ。
協会締め切りの7月12日(火)の夜にあわててメールで参加申し込み。

いや~、協会の方にはご迷惑おかけしました><

それで、参加させてもらえることになりました。

 

これで当日までバッチリ!と思っていたのですが、ところがどっこい、参議院議員会館9時30分とは・・・と。

というのも、最寄り駅の始発では間に合いません。上野駅8時55分着。乗り換えを頑張ったとしても朝のラッシュ直後ですから、平常通りに動くことも思えない。30分かかる時点で、別の手段で行くことを強いられました。

それで、高速バスです。家の最寄りの「いわき勿来インター」からは30分間隔で東京行きが出てます。が、こっちはこっちで渋滞の心配があって・・・。とりあえず渋滞を加味して予約を取りました。

 

4時20分頃に目を覚まし、5時20分に家を出ました。
5時37分いわき勿来インター発の高速バスで、東京を目指します。

順調に進んで・・・が、埼玉県の三郷JCTで渋滞に巻き込まれ、
結果7時52分着予定が8時30分前の到着。ここまで遅れるとは思いもせず。

というのも、降りるはずの停留所は、首都高を比較的短距離しか走行しないことで、渋滞なんて限定的だと思っていたのです。

実際何回か高速バスを利用していますが、今まで乗ってきたのでここまで遅れることはありませんでしたから。

それで、神経を磨り減りながら、地下鉄千代田線に乗り込みました。

いやいや、本当に参りました。こればかりは。

 

福島県のろうあ協会の事務局長さんから連絡をいただいておりまして、
9時前には来てほしいと連絡を頂いていたのです。

大手町駅で千代田線から半蔵門線に乗り換え、永田町駅では有楽町線のホームを端から端まで歩かされ、9時15分、やっと参議院議員会館につきました。

 

セキュリティチェックを受け、受付を済ませてセキュリティキーをもらって、いざ講堂へ。

 

座席指定制で福島は福島で固まっていましたので、遅れてすいませんと謝りながら座らせていただきました。福島からは5人が参加しました。ろうあ協会から3人、手サ連の会長さん、そして私ということで、福島通研からの参加者は私一人でした。息をつく間で9時30分になり、開会されました。

 

(前置きが長いのはいつものこと)

 

今回のイベントは、大きく二つにわけられて行われました。午前中は「手話を広める知事の会」設立に関するイベントで、いわば総会と呼ばれるものでした。
それに対し、午後は、「手話言語フォーラム」と題し、手話言語条例制定地域の事例発表などが主な内容でした。

 

まずは、「手話を広める知事の会」設立総会。

「手話を広める知事の会」の発起人でかつ、会長に就任する鳥取県平井伸治知事でしたが、交通渋滞による遅れ、多分羽田空港からいらっしゃったんだと思うのですが、それで遅れるという発表があって、到着次第挨拶ということになりました。

それに先駆けて、入会知事の紹介がありました。47都道府県中33の知事が会員になり、この「手話を広める知事の会」を盛り上げるということでした。

 

総会議事に移り、会則、さらに役員が賛成多数によって可決されました。

来賓の紹介があり、そのあと、全国手話言語市区長会会長で北海道石狩市の田岡市長と、(一財)全日本ろうあ連盟の石野理事長による応援の挨拶がありました。

 

設立総会の締めは、宣言文の発表で、長野県の阿部知事と、長野県のろうあ協会の会長さん、副会長さんの3人で宣言文の発表をすると、会場は大きな拍手が沸き起こりました。

 

そのあと、設立イベントが開かれました。

ここでは、記念講演と基調報告をメインに行われました。

まず、記念講演では、日本財団笹川陽平会長による講演でした。
テーマは「世界の手話事情と手話言語条例の意義」でしたが、内容は「手話言語法の必要性」という話が大きなところだったかと思います。

来賓に国会議員の先生方がいらっしゃっていましたが、堂々と皮肉っていたということしか頭になかったです。これは良いか悪いかという話ではなく、事実だと思っています。

戦後の日本の歴史において、同一の趣旨による意見書が、1700を超える全国の全部の自治体が採択したというのに、なぜここまで進まないのか。なみなみならぬ思いを語っていただきました。

公用語にしろとは言っていない」、この言葉に何かが詰まっている気がしました。つまりは、私たちの活動そのものは決して大きすぎる夢ではないのだと思います。

日本財団というと、やはり表では、ミャンマー支援やハンセン病を持った患者さんの支援にあたっていることのほうが強い気がします。震災当時から東北三県を中心とした被災した聴覚障がい者の支援等もあって、すでに5年以上のご支援をいただいていることに、心から御礼を申し上げたいです。

手話言語法が制定するその日まで、その先も支援していきたいというお言葉をいただき、改めて手話関係者の一人としてもっと加速した運動をしていかなければならないと強く感じました。

 

そのあと、基調報告として、全日本ろうあ連盟の久松事務局長の報告でした。

手話言語条例が日本で初めてできた場所、鳥取に触れていました。

鳥取で手話言語条例を作って欲しいと、連盟からお願いに上がった時、平井知事は少し間があったが、「わかりました」という返事で進んでいったこと。「なんで?」とか、「必要性は?」とかそういった質問がなかったこと、やはり手話を囲む環境が大きく変わっている証拠なのかもしれません。

 

設立イベントの最後には、平井知事による鳥取県の条例による事例発表があり、主に「あいサポート」の拡大、言語条例によってできた支援などの発表がありました。

 

時刻は11時を回りましたが、そのあと記念撮影を得て、記者会見がありました。

 

質疑で平井知事に「この33という数は想定以上なのか、それとも少ないのかどうかお聞きしたい」という質問がありました。

平井知事としては「驚異的な数字」の6文字でお答えしていました。その言葉というのは、私たち手話関係者としても、本来はそうであってほしい、が今の現状を見るならば、本当に平井知事と同じ答えであろうかと思っています。

 

午前中の総括にはなりますが、6月に市区長会が設立され、そして今月は知事の会も設立されました。つまり、それはどういうことを意味するのかというと、地方の自治体はそれなりに手話言語法の必要性を認めているということです。意見書の採択でも、認められているからこそ採択されているのでしょうが、それ以上の手話言語法の必要性があるからこそ、お忙しい時間を使ってでも、市区長さん、また知事さんが地域の垣根を超えてつながって、現実として訴えかけている。これは数年前のろうあ運動では多分誰も想像しなかったんだと思います。

しかしながら、裏を返せば、それだけ国の対応は遅い、鈍いということです。
福島県では、まだ県レベルでの言語条例はできていません。県の回答も極めて消極的です。しかしながら、県としてはこの知事の会の会員には入っています。それだけ、国の対応は鈍いということなのでしょう、いや、そうだと思います。

 

私たちは昨年の夏、まさに残暑厳しい東京で、千人単位の仲間たちを集って、日比谷公園から国会議事堂まで歩いて行って、国会議員さん、また世の中に手話言語を訴えかけました。あれから来月で一年になります。いい顔だけの議員さんは信じたくありません。あの日の”約束”である、「一緒に頑張ってやっていきましょう」、いつかその言葉が現実になりますように、私たちもこれから活動を展開していかなければいけません。