Dailog - ダイログ -

ろうあ者や手話通訳、時には時事ネタも突っ込む20代の次世代手話通訳者×全コーダが書くブログ。基本週一更新予定。

【Report Vol.7】第68回東北ろうあ者大会・第44回東北地区手話問題研究大会

■第68回東北ろうあ者大会・第44回東北地区手話問題研究大会■
主催:東北ろうあ連盟・東北地区手話サークル連絡協議会・一般社団法人 全国手話通訳問題研究会 東北ブロック
主管:一般社団法人 岩手県聴覚障害者協会・岩手県手話サークル連絡協議会・岩手県手話通訳問題研究会
2017年9月30日(土)・10月1日(日)
岩手県盛岡市 盛岡市民文化ホール盛岡市総合福祉センター・サンセール盛岡 他

 

2009年、福島県いわき市でわたしは東北デビューしました。
(東北デビューより全国デビューのほうが早いのは秘密よ!)

あれから8年。2009年福島・いわき大会、2015年福島・福島大会、2016年青森・八戸大会、そして今年は岩手県盛岡市での開催となりました。

東北大会は、10年ほど前から(もっと前かもしれません)東北ろうあ者大会と東北地区手話問題研究大会が併催して1つの大会として開催されています。
(少なくとも57回東北大会から併催であることが確認できる)

このような併催の形は、北信越ブロックにも見られ、北信越ろうあ者大会と北信越手話通訳研究集会が併催されて開催されています。

東北ブロックでは「手話通訳問題研究集会」という名前を使わず、「手話問題研究大会」としていますが、おそらくこの背景には東北地区手話サークル連絡協議会が絡んでいることだからでしょう。北信越大会では主催・共催団体にはサークル団体が入っていませんが、他の地域での通研集会には手話サークル団体の共催が入っている地域もみられます。

昨年は青森県八戸市で、同じ太平洋側でも北に一直線で約400kmあり、自家用車でいくにはかなりのハードルがあります。この400kmは今年の東北青研(秋田)への道のりとほぼ同等ですが、実キロに換算するといわき=八戸は高速道路の最短経路で480kmという長い道のりです。ということで、昨年は新幹線で優雅に株主優待券でグリーン車に乗ったり)行きましたが、今回は父親も一緒ということで自家用車で向かうことになりました。

 

午前7時、家を出発し、常磐道で仙台、そこから東北道に乗り入れてひたすら高速道路に乗り続けます。途中、常磐道南相馬鹿島S.A、東北道長者原S.Aと紫波S.Aで休憩しながらでしたが、実のところ全く眠れず(遠足に行くこどもですね)運転に回っていたことを考えるとやばい…と思っているのですが、徹夜明けの運転はもう何回もこなしてるので、コーヒーで眠気を覚ましながらの運転。途中、110km/hへの速度制限が引き上げになる岩手県内の東北道を走行しながら、走りやすいなあと思いながら、盛岡I.Cを出て盛岡市内に。

今回、父親は東北ろうあ老壮年研修会(東北大会に併催)に参加するため、岩手県雫石町鶯宿温泉に宿泊。盛岡駅から参加者向けのバスがありましたが、これではもっと家を早く出なければならないことを考慮して、送り届けてから盛岡市内に向かうというスケジュールとなりました。予定通りに到着して、そのあと盛岡市内に向かうことに。

30分あれば着くだろう…と思ってたら盛岡市内でどっぷり渋滞にハマり、ホテルの駐車場ではまだ入庫できないと断られ、近くの近隣駐車場に停めるもほぼ満杯で8階建ての立体駐車場の7階まで周り、外に出ようと思って立体駐車場から出ようと思ったら雨が降っていたことを忘れ、車まで傘を取りに戻り…、そしてお財布が空っぽなのでお金を下ろしにコンビニに向かって…、と時間を確認したら12時50分。13時スタートだったので間に合わないと思いつつも、ヘイ!タクシィ!で会場へ。

 

東北大会は、3つの分科会と3つの専門部集会で構成されています。10年前までは、専門部集会がほぼなかった(青年部だけ?)こともあり、講座に加えて6つの分科会があった時期もあったそうです。
(第57回東北大会宮城では基礎講座・手話分科会・手話サークル分科会・手話通訳分科会・教育分科会・労働分科会・スポーツ体験分科会・こけし体験特別企画であるのが確認。専門部集会はない…?)
それから東北という地理的影響を考慮し、東北ろうあ青年研究討論会が合併されたりしました(2014年から再び独立化)が、現在では3つの分科会(手話・手話サークル・手話通訳)と3つの専門部集会(東北ろうあ老壮年研修会・東北ろうあ女性集会・青年のつどい)にまとまっています。東北ろうあ老壮年研修会は大会とは一画した体系で、大会拠点地よりも離れたところで一泊お泊りまでまとめてやることが多く、今回も盛岡市内ではなく雫石町の温泉旅館で2日目の朝まで滞在し、そのあとバスで大会式典に望むというスタイルです。(2015年の福島大会も同じ福島市とはいえ、福島市中心部が拠点地だったのに対し、30分程度離れた飯坂温泉で老壮年研修会を実施した)

2009年のいわき大会では手話サークル分科会(といいながら、父親の要員手伝いとか裏方の仕事に回ってましたが)、2015年福島大会では手話分科会(講師は植野圭哉氏)、昨年の2016年八戸大会は青年のつどいに参加し、今年も青年のつどいに参加しました。

昨年は、全国ろうあ青年研究討論会が50回目の開催となることを踏まえ、全国青年部中央委員長にお越しいただき、青年部の歴史や50回の歴史を学びました。
今年は、地元・岩手県盛岡市より、第9回国際アビリンピック(国際障害者技能競技大会)のDTP(デスクトップ・パブリッシング)種目で銅賞を受賞した、一般社団法人 岩手県聴覚障害者協会 理事の徳江 真史 氏の講演です。DTPとは、ポスターやチラシ、旅客案内など多岐にわたるもののデザインを考案し、それを実施に創り上げるという極めてプロフェッショナル性とクリエイティブ性が問われるもので、講師は工科大学で学んで現在DTPを仕事にしていらっしゃいます。

私もAdobe教(と巷では呼ばれているらしいですが)に入信し、Adobe税(Adobeソフトウェアを使うことができるAdobe Creative Cloudの使用料金)を払ってAdobeのソフトウェアを使います(よく使うのはPhotoshopIllustratorLightroomが、イラストレーター(Illustrator)やInDesignを使って、デザインを仕上げていくのはすごく技量が問われて、なかなか凡人の私にはできっこありません。ソフトを使いこなすのも勉強しなければならない、またアップデート等で機能が追加されていくとその機能を覚えなければいけなかったり、機能の使い方が変わるとそれをまた追いかけなければいけないといったことはどんなソフトウェアでも共通しているのかもしれませんが、クリエイターが使うソフトは結構シビアに変わっていくのでそこは大変だろうと思いながら、講演を聞いていました。 

 

青年のつどいが終わり、一旦ホテルに戻ることにしました。交流会にも申し込んでいて、交流会会場のほうがホテルに戻るより近いし徒歩で行けない距離でもないのですが、荷物を軽くしたいことやチェックインをしておきたかったため、一旦戻ることに。

青年のつどいの会場である「盛岡市総合福祉センター」から3分、「上の橋町」停留所で待つこと10分程度、バスがやってきました。乗ったバスは「盛岡都心循環バス『でんでんむし』」で、盛岡駅を起点・終点とする1周5.7km・35分のバスです。

この『でんでんむし』、盛岡駅から盛岡城跡公園や県庁、今はなき盛岡バスセンター周辺をまわり、岩手医大附属病院や石川啄木新婚の家をめぐるバスで、1周が100円。1周であれば、どこから乗ってもどこでおりても100円で、地方部のバスは初乗り150円が多いのに対して統一料金でわかりやすいバスです。乗ってる時間は15分程度でしたが、2~3停留所間の利用も多く見られ、観光来客の足はもちろん、市民の足としても定着しているのが伺えます。

『でんでんむし』に乗り、盛岡駅東口に出て、一旦ホテルへ。今回お世話になるホテルは、「ホテルルートイン盛岡駅前」さんです。今回の大会”も”宿泊地は自分で予約する形で、私以外にも大会参加者が利用しているのが見られました。中でもラジウム人工温泉とはいえ、大浴場がついているのはおトクですが、1泊7,800円。まあ、地方部のホテルにしては高いほうでしょう。チェックインを待っている間、手話通訳分科会の講師でした東京手話通訳等派遣センターの江原 こう平 氏とばったり会ったりしながら、チェックインを済ませて自分の部屋へ。荷物だけさっさと置いて、カメラバッグだけ持って、再び『でんでんむし』に乗りに盛岡駅東口へ。

『でんでんむし』に乗ったはいいのですが、「あれ、方向間違えたかな?」という予感がばったり当たってしまい、北回り・南回りを間違えて乗ってしまう羽目に。交流会会場の最寄りバス停は「盛岡バスセンター神保町」停留所で、ここにいくには南回りが7区間、北回りが12区間と遠回りに。「まぁ仕方ないや、同じ100円だから」と思いながら、バスに揺られ、無事に到着。そこから3分程度で交流会会場の「サンセール盛岡」に到着すると、すでに交流会は開場しており、急いで受付を済ませて交流会へ。

交流会の乾杯の音頭は、翌日記念講演をされる講師さんが取り、みんなでカンパ~イしました。同じテーブルの人と歓談したり、また先輩方にビールを注ぎにいったりして、あっという間の2時間でした。

交流会を終えて、外に出てみると、吹き付ける風が冷たく、その風に吹かれて温度も下がっていました。私はまだ平気だったのですが、「うわぁ、寒い…」と両手で腕をこする仕草が目立ちました。

そのあと、地元岩手県の青年部主導で、青年部の二次会があるのでお邪魔することにして、途中東北の青年たちと歓談しながら、17分もの道を歩いて、二次会へ。またカンパ~イと始まり、講師の徳江氏と一緒に話したり、積もり積もった話をして、あっというまに23時に。

そこからホテルがある盛岡駅東口までみんなで歩いていきましたが、「シメ」を求めて、3次会へ行くことになり、盛岡駅東口のラーメン屋さんに4人で入り、シメを堪能して解散となりました。

ホテル着いたのは24時…は回ってたはず(あんまり記憶にない)。そんなこんなで1日目がおわり、シャワーはめんどくさいので翌朝にお預けしてさっさと寝ました。

 

2日目は午前6時ごろ起床。日曜の朝といえば、ニチアサ(ニチアサキッズタイムの略称。2011年の番組改編以降名前が使われなくなったものの、今でもこう呼ばれる)を見る人が多いと思いますが、その前に「NNNニュースサンデー」を見るのが習慣…化してません(日曜は本当いろんな行事があってそれどころじゃない)が、見る時間があるのならということで見てから大浴場にお風呂に入り、そのあと無料バイキングモーニングを頂いて、チェックアウト。ちなみに、私の日曜の朝はヒーローものやプリキュアなどのニチアサではなく、シューイチ派です。こないだの改編でさらに見る可能性低くなりましたが、気がついたら多分プリキュアとかみるかも。ただアニメ番組を見る習慣がない(強いていえばサザエさんぐらい)ので、話についていけるか…。

そんなところで、チェックアウトして荷物を車に預けて、盛岡駅の構内を東西に突き抜けて、大会式典が開催される盛岡市民文化ホールへ。父親と再会して、大会式典に。

f:id:daichan_coda:20180501090158j:plain

▲大会式典の様子

記念講演を終えて、次開催地の宮城県への引き継ぎ式が始まりました。

来年の東北大会は、2019年に全国ろうあ者大会が宮城県で開催されることから、いつもの9月下旬開催から1ヶ月前倒しして行われます。なお、2016年八戸大会でも、岩手県を除く5県で全国ろうあ者体育大会が分散開催、岩手県では国体が開催されたりした関係で、1ヶ月遅い10月末に開催したことがあります。

東北大会で勢いを付けて全国規模の大会を開催する流れは、実は東北ブロックでは珍しくなく、近い話では今年東北ろうあ青年研究討論会を開催した秋田県は来年、全国ろうあ青年研究討論会の開催地になったりしています。そういうわけで、来年の東北大会は2019年(平成30年)8月31日(金)に諸会議、9月1日(土)に分科会・専門部集会・交流会が行われ、9月2日(日)に大会式典・記念講演という運びになりました。もしかしたら、来年の東北大会は全国大会に向けた決起集会があるかもしれません。大会補助や後援関係で、開催地は杜の都仙台市…ではなく、仙台から電車でアクセスしやすい宮城県多賀城市での開催となります。

8月末の仙台・多賀城近辺は青葉山から吹き下ろす風で暑い…はず。全国手話通訳問題研究集会(沖縄・那覇/宜野湾)からすぐの開催のため、その勢いを保ったまますばらしい大会になればいいな、と思っております。

 

みんなとさよならバイバイして、盛岡市を離れます。本来なら盛岡のわんこそばや冷麺を堪能するのが通例なのでしょうが、のんびりしていると仙台都市圏の混雑に巻き込まれるので、13時には離脱し、盛岡I.Cから東北道へ。まもなく紫波S.Aに到着し、昼食を済ませて一路仙台へ。仙台市の一歩手前、富谷JCTから仙台北部道路に抜け、来年の開催地である多賀城市を高速道路から眺めてすぐ、仙台港北I.Cで一旦三陸道をおります。

ここで降りて、買い物するところ…といえばひとつしかないですよね。そう、「三井アウトレットパーク 仙台港」にやってきました。もう片手で数え切れないほどは来ているのですが、ほしいものがあって買いにきました。

それは…靴です。前のスニーカーはもう2年近く(?)履いていてもうぼろぼろ。いろいろな行事に参加する相棒の一つでしたが、かなり靴底もヘタってきて、洗っても落ちない汚れもあるし、2年も使って履き続ける理由ないや…ということで、新しいのを求めにきました。

この十数日前、「三井アウトレットパーク 木更津」に出かけ、そこで目星を付けた靴はあったのですが、やめにしたのですが、家に帰ってきてから「買っとけばよかった」と後悔が募り、同じものはないと思いながらも、似たようなものであればいいや…と思いながら買いに行きました。

お気に入りの靴はありましたが、靴のサイズが26.5cmだったわたしはお気に入りの靴の26.5cmを履いてみたらガバガバ。店員さんと話しながら、26cm、25.5cmと縮めていきましたが、店員さん曰く「革は使っていく内に伸びますから…きついぐらいのほうがいいですよ」と言われ、25.5cmの靴を買うことに。そのあと、「革靴もう一足買うとおトクですよ!」と言われ、父親の会社通勤用の革靴を半額で買うことができるので、それも追加して、お買上げ15,000円也~!いい買い物をしました。

時刻は17時を周り、日が落ちてきて、仙台港I.Cから仙台東部道路常磐道を乗り継いでいわきへ。常磐道はいわき中央~岩沼間の130kmが片側1車線で、これはいわき~仙台間の150km中のほとんどを占めます。もっぱら、常磐道自体は東京方面からいわきがもとそと終点扱いで動いてきたので、いわき以北は休憩施設が少なかったり、交通量も少なく計算されています。ところどころ追い越しもありますが、追い越しても前が詰まってるのはいつものことなので、無理せずのんびり帰りました。途中相馬近辺で事故の第一報があることをハイウェイラジオで聞いていましたが、誤報でした。片側1車線の対面通行は事故に遭った時が怖いので、用心しながら走りますが、やはり中央分離帯があったほうが安全ですよね。この130km中40km余りが今4車線化工事していますが、完成までは数年がかり。平日の通勤時間帯には東電関係者が多いのか渋滞も起きているし、いっその事復興関連で全区間4車線化してしまえ!と言いたいですが…高線量区域が区間から抜けているのでそういうこともあるんでしょうね。

そんなこんなで20時近くなって家に着き、私はご飯を食べてすぐ寝てしまったのでした。

<おわり>

 

(…数日後)
ところがどっこい、翌日から履き出した新しい靴、予想以上にきつく靴擦れを起こしてしまいました。右足がきつかったらしく、かかとには革が剥けて血が出て、歩くのに変な歩き方に…。1ヶ月たった今でもちょっときついですが、9,000円出して買った靴なのでうまく付き合うことにします。

青年のつどいで優勝商品として頂いた「フランス・ボルドー産」のワイン、家族みんなでおいしく頂いております。(正直なところワインを飲むなんて初体験でした。)

【行事参加レポートVol.6-4】第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま~<3日目>

■第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま
=主催:一般財団法人 全日本ろうあ連盟一般社団法人 全国手話通訳問題研究会
 主管:社団法人 広島県ろうあ連盟特定非営利活動法人 広島県手話通訳問題研究会=
2017年8月18日(金)~20日(日) 広島県福山市 ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ福山市立大学

3日目。最終日です。

流石にシャトルバスに間に合わせました!福山駅構内を抜けて、北口からバスに乗って10分、いや13分揺れて、市立大学へ。

3日目の分科会は30分早く9時スタートしました。

2つのレポートの発表があり、また福島でのN-Actionの取り組みの状況を2日目の分科会で行い、一通り終わったところで、「全通研で若い人と先輩がともに活動するにはどのような取り組みを行うべきか?」と言った内容で討論を交わしました。

最後に、分科会の共同研究者の総評を経て、散会になりました。

 

11時に終わり、相変わらず暑い屋外に出て、目指すはリーデンローズ。閉会集会の会場は、開会集会と同じリーデンローズで行われます。

全通研次世代活動委員会の委員長さんといろいろ話を交わしながら10分、リーデンローズに到着。閉会集会が行われました。

f:id:daichan_coda:20180430075625j:plain
▲総評を述べる(一財)全日本ろうあ連盟・石野理事長

こども集会や、次に開催する沖縄への引き継ぎを終えて12時前、閉会集会を終えて全日程が終わりました。

 

毎年感じていること、それはこの集会は今の自分にとってとても必要だと思うこと。全国から1,000人ものろう者・手話通訳者が一堂に会すること、これはとてもすごいことだと思います。

ちょっといやらしい話になりますが、全通研の本部会費は6,500円。これには全通研が開催する行事への参加権利、機関紙「手話通訳問題研究」年4回分、あとこの集会の参加費減免です。この全通研集会の参加費は一般参加で9,000円。夏集会として討論分科会がない時代だった2014年の福島・郡山集会でも8,000円、自分は地元開催のとき会員ではなかったので一般参加費払って参加しました。

これが、会員になると6,000円まで下がります。ということは、この集会に参加すると全通研の本部会費は実質3,500円に下がるわけです。年4回の研究誌が500円だとしても、実質1,500円になるわけです。

なぜ、この話を引き出したか、というと、全通研に入りたいと思う学生や若い人は、どうもこの会費がネックになっているようなのです。仕方ない話かもしれませんが、こうやって紐解くと、決して高いものではないと思っています。

もちろん、全通研集会に参加するには、交通費・宿泊費・食費etc...とさらにお金はかかりますが、2014年の夏集会に参加して以降、私は4年連続で参加し続けています。毎年毎年、安否確認じゃないけど、それでこそ新しく接する顔ぶれもあるわけです。東北から九州の仲間を作ることだってできるわけです。

今の手話通訳者活動の大きな支えにどれだけなっているか…。仲間のチカラは偉大だと感じますし、さらに言えば偉大な仲間たちと活発な議論が交わせることそのものがとても楽しいのです。

おそらく、また第51回集会でも同じようなことを言ってると思いますが、控えめにいってこの集会はやっぱりいいものですね。

 

で、集会が終わって、さてどうするか?と。

はい、鞆の浦にいくことにしました。というのも、青年部中央委員さん皆さんで鞆の浦までタクシー観光するというのでご一緒させてもらうことに。

福山駅からタクシーに乗り、40分。途中タクシーの運転手さんがおっしゃっていただいた観光情報などを適宜通訳しながら鞆の浦に向かいました。

f:id:daichan_coda:20180501084726p:plain

鞆港に寄港する定期観光船

ちなみに、帰りの道中で、「お好み焼きが美味しい店知ってます

か?と聞いてほしい」とご一緒したろう者に言われ、タクシーの運転手さんに聞いたところ、「大阪と広島どっちがええのん?」と言われてしまい、さらに「ここ(福山)な~、大阪も近いから大阪のお好み焼きも多いねん」と。駅前にポツポツあるそうで、ぜひ楽しんでな~と。

結局そんなことはさておいて、14時40分頃に福山駅に到着し、鞆の浦ぷち旅行終了。

 

本来ならもう少し滞在することができるのですが、遅くなればなるほど混雑が激しくなると思った(というのも、すでに指定席が満席だったり)ので、早めに帰ることに。みなさんご飯を食べに行った中、先に帰らせてもらうことにしました。

で、どうやって帰ったか、というと…。

f:id:daichan_coda:20180430081641j:plain

▲上が乗車券、下が特急券
 
JRのエクスプレス予約で買えるe特急券でも福山からのグリーン車が11,490円で乗車券とほぼ同額。

はい、漢にグリーン車で帰りました…。
(だって普通車指定席満席だったんだもん、自由席に揉まれたら負けると思ったんだもん)

福山を出て、次の停車駅が岡山でしたが、岡山で隣のホームに鎮座するN700系16両編成…。そう、東京行きのひかりが待っていたのです。

あーしまった。これに乗れば無駄な出費しなくて済んだじゃん!と。

まぁ、そんなことは過ぎてしまったことなので、京都出て新横浜まで寝てしまいました。

指定席は東京駅まで買ってありますが、品川まででも値段は変わらないですし、品川で降りたところで損することもないので、品川で降りて常磐線に乗換。

21時10分、自宅に着き、今年の夏が終わりました…。

 

また来年!(あと4ヶ月後)

(来年につづく)

【行事参加レポートVol.6-3】第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま~<2日目>

■第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま
=主催:一般財団法人 全日本ろうあ連盟一般社団法人 全国手話通訳問題研究会
 主管:社団法人 広島県ろうあ連盟特定非営利活動法人 広島県手話通訳問題研究会=
2017年8月18日(金)~20日(日) 広島県福山市 ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ福山市立大学

2日目の始まり。7時ごろの起床でゆっくり支度しながらの朝。

今回の講座・分科会会場は、福山駅から車で10分~15分ほど離れた福山市立大学。実は今回の開催にあたり、福山市内の大学には全部断られたそうです。福山市長さんの懸命な説得もあり、開催にこぎつけたとのことでした。

 

路線バスに間に合わず(福山駅8:45発)、ヘイ!タクシィ!で市立大学へ。タクシーの運転手さんが「今日は市立大学でなにかあるんですか?」と聞かれ、「ちょっと研究大会がありまして~」と。

そんなことで9時15分ごろには到着し、第5分科会のチェックインに。既に分科会の中には全国N-Actionのメンバーを見かけたり。軽く雑談しながら、9時30分分科会がスタートしました。

f:id:daichan_coda:20180430074209j:plain

第5分科会には2つのレポートが予め提出されていました。一つは広島からで高齢者とのつながりに関すること、もう一つは静岡から静岡市役所内における手話サークルについての報告で、それぞれPPTを使いながらの説明がありました。

詳しい話は、報告レポートに掲載されていますので、大まかなことは省きますが、広島では戦時中地図から抹消された島があり、そこで従事されていたろう男性とのつながりについてのレポートでした。少子高齢化社会や地方部の限界集落が悲鳴を上げる中、地方部においてのろうあ者と手話通訳者のつながりは生命維持の上でも重要なことです。そのヒントをお互いに学ぶことができました。

また、静岡の報告は、静岡市役所内での手話サークルを毎週1時間程度開設して、既に20人程度の会員がいるという報告でした。地方部では手話サークルの高齢化も進行していますが、私から福島・いわきの状況等を説明して助言をさせていただきました。

f:id:daichan_coda:20180430074252j:plain

▲今集会の2日目昼食弁当。毎年毎年写真に納めておくと地域の違いが見えていいですね

 

午前中に広島の発表、お昼休憩を挟んで静岡の発表がありましたが、そのあとN-Actionに関することでレポート提出がなかったということで、福島から発表してほしいと依頼されたので、発表を聞きながらPPTを作りかけましたが、時間が間に合わず断念。仕方ないので、前日に京都に送った資料を元にいろいろ説明しましたが、盲目的になっていたポイント等を指摘していただき、これからの活動のヒントになることもできました。

全通研は年齢を問いません。18歳(それ以下も可?)から60・70・80と上の上限もなければ下の下限もありません。そういった中で、N-Actionを設立する中では「若者だけの組織がなぜ必要なのかわからない」といった意見も飛び交いました。しかし、今N-Actionができたからこそ、非公式ではありますが「アッパー60」という同世代のつながりができたり、また「未来を拓く委員会」の発足もされています。

私はN-Actionの発足はやらなければいけないことであった一つにすぎないと感じています。それは今の手話通訳者業界の高齢化も進行しているし、将来の活動の担い手も十分ではないからです。若い力が鼓舞すれば、ベテランさんも負けじと鼓舞する。そのような取り組みの中で組織が発展していけばオーライだと思うからです。

 

そのような話が交わされながら、二日目の討論は終了。時刻は16時30分になり、N-Actionのつどいにお邪魔することに。(実はこのときメンタルボロボロでした。)

f:id:daichan_coda:20180430074715j:plain

▲N-Actionつどいの様子。顔載せていいかわからんのでぼかしをかけています。
 
ぼかしをかけているのは悪いことをしたからではないです、一応断っておきます。

このN-Actionのつどい、三重集会を皮切りに、3回目の開催がされてきました。昨年は組織的な都合があり、叶わなかった内容が今年広島にて行われることになりました。それは、一般財団法人全日本ろうあ連盟青年部の発表があったという点です。

つどいが始まり、まずは組織担当者アンケートのまとめが発表されて、N-Actionが発足

した(と正式に地域が認めている)地域が発表されました。

*1

北海道・東北・北信越・中国の各ブロックでまったく発足していない以外は、残る5ブロックで発足されていたり、ブロック内の地域で発足しているなど、ほぼ全国的な広がりを見せています。このうち、発足していなかった北信越ブロックは新潟で9月に発足報告があり、残るブロックは北海道・東北・中国と3つになりました。

また、組織担当者からの率直な意見等も伺えることができ、これからわたしたちは親団体とどのように取り組むか等についても理解や納得を深めることができました。

そのあと、(一財)全日ろう連青年部からの発表で、昨年50回目を迎えた全青研の取り組みなどのPPTを交えて説明がありました。

そして、時間が多少あったということで、N-Actionの活動をしている茨城・京都・大分から設立等に関する取り組みについて振り返り、あっというまにつどいの時間がおわり。

 

このあと、みんなでバスで移動したり、ヘイ!タクシィ!(とはならず呼びまくりましたが)で、各自福山駅へ。わたしたちは最後までタクシーを待っていたこともあり、定時には遅れましたが5分遅れで交流会会場へ。

乾杯を済ませて、いろいろな話題で盛り上がり。結局つどいの交流会を1次会と数えると2次会、3次会?まで突入。時刻は25時半でしたが、みんな積もった話をしていたようで、物足りなさそうでした(笑)。

真夜中2時ごろに福山駅前を歩きながら、ホテルに戻り2日目終了。

(つづく)

*1:補足:この中で、福島でN-Actionの活動が始まっているという報告がされましたが、2017年8月19日現在では発足していません。福島支部におけるアンケートの回答に誤りがあったり、質問の意味を間違えて履き違えていたりした結果です。正しくは2017年10月現在でも発足していません。

【行事参加レポートVol.6-2】第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま~<初日②>

■第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま
=主催:一般財団法人 全日本ろうあ連盟一般社団法人 全国手話通訳問題研究会
 主管:社団法人 広島県ろうあ連盟特定非営利活動法人 広島県手話通訳問題研究会=
2017年8月18日(金)~20日(日) 広島県福山市 ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ福山市立大学

初日のレポートのこりを。

 

記念式典が行われ、式典関係が終わり、一時解散になりました。

福島からの参加者はこのふくやま芸術文化ホール リーデンローズで写真撮影をしよう、ということで、下の案内板を背景に写真を取りました。

 

f:id:daichan_coda:20180430072826j:plain

リーデンローズの2階玄関に置かれていた集会の案内板

写真撮影を終えた後、福山駅まで向かうわけですが、今回の会場(リーデンローズおよび福山市立大学)へ向かう交通手段として、集会でシャトルバスが用意されていました。

リーデンローズから福山駅北口までおよそ10分程度(タクシーだと8分、ただしタクシーの場合は福山駅南口)ということもあり、シャトルバス2台を15分間隔で運転するという形で行われておりました。

が、さすがに1,000人単位の参加者をそれだけで撒くのは厳しく、1号車・2号車とも満席になるとすぐ発車していきました。福山駅北口に送り、そのあと戻ってくるとなっても最速で25分程度はかかることで、結構待たされました。

中には、リーデンローズに寄せてくるタクシーを待っていた人もいました。タクシーだと障害者割引を効かせても810円、4人で乗れば一人200円程度とシャトルバスと遜色はありません。そういったこともあり、タクシー組とシャトルバス組が二分して、集会参加者はリーデンローズから離脱していきました。

ちなみに、中には福山駅まで歩いてく猛者もいたそうです。30分かかるかかからない程度だとか。

 

私が乗ったときにはほぼほぼ最後のほうで、観光バスの立ち席利用という形になりましたが、17時50分頃に福山駅北口に到着。今回お世話になるホテルにお邪魔して、チェックインをしてからお部屋に。

 

今回お世話になったホテルは「福山ニューキャッスルホテル」です。今回、私と同じようなことが多くの方でみえたようですが、シングル予約だったのにまさかのツインルーム。なんと豪勢なこと。
→今回のホテルをブログにあげていた全通研参加者がいましたのでシェアします。全通研参加者というより2日目からの分科会も一緒でしたが(笑)。

チェックインで対応してくれたお兄さんが「お部屋準備の都合で、少し大きめな部屋を用意させていただきました。」というので、もしかしたら?と期待しましたら、当たっておりました(笑)。

というのも、私が普段よく利用する「アパホテル」ではよくこういったことがあるのです。

もともと、今回の宿泊では「福山ニューキャッスルホテル」を本命視して考えていましたが、集会の参加案内に書いてなかったホテルとかも何個か比較検討しました。

2泊でおよそ20,000円。朝食もついていた(私自身は素泊まりで予約した覚えしかなかった)のでとてもラッキーでした。

 

私が宿泊した部屋の階にはなんと全通研参加者で2人も同じ階だったということが後に判明、びっくりしました。

 

チェックインする人も何人がいて、数分並んで待っていましたので、そんなこともあり部屋に入った頃には18時10分。暑いこともあり汗で濡れた下着を取り替えたかったので、シャワーを浴びて、着替えたら18時25分。かなりギリギリな時間になって交流会会場につきました。

 

交流会会場について慌てて受け付けを済ませ、抽選の結果19番テーブルに入ったので、向かうと・・・あら、女性陣ばかりで男性が一人もない・・・。

「ここ空いてますか?」とお隣に座ってらした全通研国際部長さんに声を掛けると「きゃー」と。そんなに叫ぶほどではないですよ(笑)。

 

交流会が始まり、まずは第50回集会を記念して、ここまでの50回を振り返るという話に入りました。壇上には(一社)全通研・石川前会長が登壇。

f:id:daichan_coda:20180430072948j:plain

50を47都道府県で割ると平均1回は開催されていいはずですが、3回も開催しているところが3箇所も。第1回手話通訳者会議を開催した福島は第10回・全通研設立40周年記念の47回集会、全通研集会に名前を変えてから初めて開催した愛知は第16回・全通研設立30周年記念の37回集会、それに大阪が6回・13回・25回と集会を開催しています。

私自身は第47回集会(福島)から三重・神奈川・広島と4回連続していますが、これでも参加率は4/50でわずか8%。まあでも20代でこの参加率は優秀でしょう(笑)。

ちなみに、このあとの第51回集会は沖縄、第52回が奈良、第53回が石川での開催が決定しています。沖縄と奈良は初めての開催になりますが、それを除くと、

秋田・山形・茨城・栃木・群馬・福井・和歌山・鳥取・島根・徳島・佐賀・鹿児島

での開催が53回までないということが発表されています。

 

私自身はこのうち秋田(2017東北青研・2018全青研)、山形(2013全国大会)、茨城(2009全国大会)、徳島(2016全国大会)には行って、そのほかに栃木・群馬・佐賀は個人的に行っていますが、それ以外はまだ行ってません。おそらく全通研集会で初めて訪れることになるでしょう。

 

資料が残っている30回集会ぐらいから写真で振り返り、宮崎で豪勢な集会を行った数年後そのホテルが倒産したり、そういうエピソードも随所に交じりながら、あっという間の50回振り返りでした。

 

そのあと乾杯があり、しばらくご歓談、テーブルを離れてビール継ぎに出かけたり。とにかく時間の濃い2時間でしたが、特に全通研集会に19歳で来ているという猛者を見つけてとにかく交流。楽しい時間でした。

 

f:id:daichan_coda:20180430073021j:plain

時刻は21時になり、ホテルを飛び出して福山駅前のアーケード街へ。青年部中央委員さん

と飲みながら一日目の夜終了。

 

(つづく)

 

【行事参加レポートVol.6-1】第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま~<イントロダクション>>

■第50回全国手話通訳問題研究集会 ~サマーフォラム in ひろしま
=主催:一般財団法人 全日本ろうあ連盟一般社団法人 全国手話通訳問題研究会
 主管:社団法人 広島県ろうあ連盟特定非営利活動法人 広島県手話通訳問題研究会=
2017年8月18日(金)~20日(日) 広島県福山市 ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ福山市立大学

お待たせしました。第50回全通研集会のレポートです。

1968年、「第17回全国ろうあ者大会」が福島県福島市で開催され、当時は1,700人を超えるろうあ者および手話通訳関係者が福島に集いました。「第2回全国ろうあ青年研究討論集会」が福島県猪苗代町の国立磐梯青年の家で、全国大会に併催してまた「全国手話通訳者会議」が初めて開催されました。あれから50年。1975年から「全国手話通訳問題研究集会」として開催され、今年で50回目の歴史を刻むことになりました。

わたしは、2014年の福島集会、2015年の三重集会、2016年の神奈川集会と続いて4回連続の皆勤賞。

今年も期待を高くもって、参加してきました。

 

時は8月18日(金)、朝4時。
今回の開催地である広島県福山市には始発電車では間に合いません。開会式に遅れてもいいなら行けたりするのですが、まあせっかくなので開会式から見ることにするために、今回も茨城県まで自走です。
5時31分に高萩駅を出る「特急ときわ58号」にて上野駅、東京駅と乗り継ぎ、9時10分ののぞみでいざ福山へ。

今回は、ひとり旅になろうかと思っていましたが、福島の青年部の方と一緒にいくことに。東京駅で待ち合わせして、途中新幹線の中でしゅわべりながら、3時間34分(別に阪神関係ないんですよ~)の道中。

12時44分に福山に着き、ドアが開いた瞬間ものすごい熱風が。8月の前半、福島県はおろか東北地方では日照不足や連日の大雨で気温は涼しい日が続いていました。化物のように熱い風を受けて、ひとまずお昼をたべよう、ということで。前日入りして観光していた福島青年部の部長さんと合流して福山駅ビルの飲食店へ。

そんなわけでお昼を済ませ、今晩からお世話になるホテルに荷物を預け、タクシーでリーデンローズへ向かいます。時間は超ギリギリの13時50分着。どっかの行程でハプニングがあったら間に合いませんでした。

 

f:id:daichan_coda:20170825155946j:plain f:id:daichan_coda:20170825160019j:plain

▲(左から)集会開会式であいさつする地元実行委員長、集会主催者の一つである(一社)全通研・渡辺会長

開会式が始まり、厚生労働省の特別報告があり、相変わらず見にくいスクリーンで恐縮でしたが、発表が終わって、いよいよ記念講演に入っていきます。

 

ぶっちゃけたことを一ついうとですね、早起きしたこともあり、すごく眠い中で講演を受けることになりました。で、ちょっと寝てました。ちょっとどころじゃないな、結構寝てたかも。

 

記念講演は「風の歌が聴きたい」というテーマ。名前を聞いた方、ピンときた方もいるのではないでしょうか。映画「風の歌が聴きたい」の監督、大林 宣彦 さんです。

大林さんの話を聞きたくて参加した人も少なくないと思いますが、2016年8月に肺がん(ステージⅣ)が判明し、「余命3ヶ月」の宣告を受けます。しかし、抗がん剤治療が向いたこともあり、現在「余命未定」という状態であるという話も伺えました。

で、伺えたのはいいんですが、もう眠すぎて失礼ながらあくびをしながら聞いていたのですが、睡魔に勝てず・・・。なにせ、大林さんの声が子守唄のように優しい声で語ってくれるもんでして、最初の30分ほど頑張って聞いていたのですが、いつの間にか夢に入っておりました。申し訳ないです。

ただ、その中でも、大林さんが言っていたことで印象的だったことは何点かあります。一つ上げるとするなら、この映画の舞台となった高島久美子さんに監督から話を聞いたときに、「風の音が聞いてみたい」という話になったらしく、監督がこれに疑問を感じたそうです。「え、なぜ?」という話になって、その話でトライアスロンが関わって、「トライアスロンは風を感じる、けどその音は聞けない」という話になったらしく、それで監督が深い感銘を受けたとか。そんな話をきいて、ああ・・・すごいなあ、と思って聞いておりました。

昨年、戦後70年を数えて、アメリカ合衆国の大統領が被爆地を訪れて献花するという歴史的な一場面がありました。その様子は広島県はおろか、全国に生中継され、多くの話題を集めました。今回、全国手話通訳研究集会が行われるにあたり、講座の一つには原爆ドームを巡ったり、また戦争や原爆投下の歴史を語り継ぐろうあ者の講演を聞く講座もありました。

監督はこの映画の撮影を通じて、感じたものがあるそうでした。「障害があるということは個性なのだと」、決して悪いものとして捉えないということ。それから、「戦争こそ障害」なのだということも。広島県で生きてこられた監督の言葉だからこそ、その重みが改めてわかりました。

そんな中で、先ほど2016年8月にステージⅣの肺がんが判明したという話がありましたが、そのあとすぐに映画の撮影が始まるという話もあったそうです。なんとかやりきったという形で話をされていましたが、その映画の話が最後にあり、なんとスペシャルゲストで、その映画に出演する満島真之介さんが会場に。たまたま尾道など広島県に滞在していたようで、せっかくということで監督の話を聞きにきたそうです。

思ってもみないサプライズゲストの登場で、会場が沸き起こり、満島さんも舞台へ。映画「花筐」がこの冬から上演が始まるという話、また満島さん自身も沖縄県の出身でクォーターだそうですが、「戦争がなかったら沖縄にもいなかった、そしてこうしてみなさんにも会えなかった」という話をされ、満島さん自身も複雑な気持ちだそうですが、あらためて戦争はいいものではない、という話もされて、お時間になりました。

f:id:daichan_coda:20170825161641j:plain f:id:daichan_coda:20170825160518j:plain
▲(左から)記念講演での映画監督・大林宣彦さん、サプライズゲストとして登壇した俳優の満島真之介さん

で、時間になった途端、ステージ左端からスーツ姿の男性が・・・司会者壇上に上がり手話表現を始めて・・・「改めまして、第二部の司会・進行を務めさせていただきます・・・」と・・・、そう、本当ならば第二部(記念講演)の司会を務めるはずだった地元実行委員が今頃現れたのです。

というのも、記念講演の準備中、大林監督が待たせないように、と喋り始めたから、この司会者出る幕がなかったということで、記念講演が終わってからの登場。「あらためて大きな拍手をお送り下さい・・・それでは、短い時間でしたが第二部を終了させていただきます」と、なんとわずか5分の司会。これには場内が騒然としていました(笑)。

 

そんな流れで、初日ふくやま芸術文化センターで行われた式典関係は終了。

(レポート2部目につづく)

 

【行事参加レポートVol.5-2】第43回東北ろうあ青年研究討論会<2日目>

2日目です。

 

午前7時すぎに起床、みんなは一足先に食べてきた人もいれば、これからいく、という人もいる中で、どさくさに紛れて急いで朝食会場へ。

昨年は朝食会場も貸切でしたが、今回は交流会会場がそのままその宿の宿泊者の朝食会場となっていましたが、東北青研参加者は必然とひとかたまりになって、朝ごはんを食べていました。

 

7時50分ごろにご飯を食べて、急いで部屋に戻り、もう一回お風呂に入ることに。

同じ部屋の参加者から「え、また!?」と言われましたが、ひるむことなく3回目のお風呂に(笑)。

ちょうど貸切で誰もいませんでした。

 

部屋を出る準備をして、討論会会場へ向かいます。

 

9時、討論会2日目の日程が始まりました。

2日目も記念講演で、テーマは「専従職員としての30年間〜そして青年部に伝えたいこと〜」、講師は一般社団法人秋田県聴力障害者協会事務局長の加藤 薫 氏です。

初日の記念講演は、「情報提供施設」がテーマでしたが、秋田県の情報提供施設の開設はいつでしょうか?

 

わかる人は勘付いてますね。昨年の秋です。やっとこれで東北6県の情報提供施設は県レベルでの設置が完了したのです。そんな秋田の情報提供施設ですが、センター長も務めていることもあり、また前々からこの加藤講師の話はとてもいい、と聞かされていたので、とても楽しみにしていました。

 

まず、講師の生い立ちから話が始まりました。昭和40年、講師が小学6年のときに失聴してから、ろうあ運動の世界に入ったということでした。

東北のろうあ運動の先駆者といえば、今はなき板橋さん、先日の第50回全青研で特別企画に出演した青森の山内さん。そして、3人目は講師であると私は感じていますが、講師もかつてはろうあ運動に抵抗、というよりも違和感?を感じていたようです。

というのも、講師は小学6年生に失聴したわけですから、事実上は中途失聴者であるわけです(生まれつきやストレプトマイシンの副作用などといった言語獲得前に聞こえなくなることに比べると)。そういう中で、ろうあ運動に対してあまり本腰が入らなかった時期もあったそうですが、その時に板橋さんや山内さんと出会って変わった、と話していました。

とくに「結婚した人は離婚できるが、結婚しない人は離婚できない。これと同じで、ろうあ運動しない人は運動をやめる資格はない」と叱られて、やっと本腰が入ったとか。

 

この言葉はとくに福島の人が語るイメージがありますが、「板橋さんが叱る理由は、あなたを憎んでいるからではない。頑張れる力があるから、頑張れと叱っているんだ」という言葉、講師にも投げかけられたようです。福島の人はみんな口を揃えて「叱ってくれる人は未来がある」ということとほぼ同じようなことに思えるのですが、やはり叱られたことがある人、叱られたことない人と二分しているあたり、板橋さんにはなにか見えていたんでしょうか。

そんな言葉を山内さんから投げかけられ、ろうあ運動の道を貫くことにしたそうです。

 

さて、舞台は一旦東北に移ります。東北ブロックの幹部研修会、参加したことありませんが私は覚えています。1月のとても寒い時期に行われるんですよね。今は1泊2日のほうが多くなりましたが、昔は2泊3日だったそうです。ペーパーテストが設けられて、そのために前日は徹夜・一夜漬けで覚えていったそうです。講師がいうには、「いつも福島はすごい、いつも1位をとっていた」と話していましたが、たしかに東北ブロックの中では福島が圧倒的に協会の勢いはあるかもしれません(東北ブロックの各県からはさん団体の連携の良さを評価されることもあるのでそれかもしれませんが)。そのペーパーテストに対策するため勉強していきますが、その過程こそが大事と実感したそうで、正しい知識を得ることはろうあ運動をしていくためにはとても必要だ、とはっきりおっしゃっていました。

 

そんなとても寒い中で行われるブロック幹部研修会ですが、講師が若いときに先輩から「酒を買ってこい!」と頼まれたそうです。でも一つ条件があって、「手ぶらで帰ってくるな」とだけ言われて買いにいかされたそうで、猛吹雪で店も空いていなく・・・居酒屋の戸を叩いてそこのおかみさんに交渉してお酒を分けてもらったとか。ろうあ運動は常識破り(いい意味で)な展開をしてやっと動くものなのかな、と思っている自分にはすごく説得力を持たせてくれたような話でした。

 

それから、東北ブロックは絆が強い、と言われることがありますが(これは東日本大震災の前から?)、その中には昭和60年、当時全国大会の開催地が岐阜の時、日本聴力障害新聞(日聴紙)の拡大運動が活発だったそうですが、史上初めて東北ブロックが優良ブロックとして表彰されたのです。

組織力が大きい東京や大阪など大都市圏がクリアしやすいと一見思えるこの運動は、山あり・川あり・雪ありの厳しい条件で鍛えられた成果がでたのではないか、という話も合わせてありました。

 

それだけではありません。講師は30年間専従職員として活動していらっしゃいますが、その中で初めのころ、まだいい環境もなく、一人で仕事をこなしていた頃、あまりの多忙ぶりに講師は入院してしまいます。秋田の理事では当時「仕事を休めば減給」という考えが強く、一人で仕事をこなして薄給の中ではいい形で仕事をこなせることは不可能です。そんな中、福島や青森が率先してカンパ応援に入り、状況を察してくれて動いてくれたことに東北の絆を感じるとともに、講師は感激したそうです。

 

さて、そんな中を生き抜いて率先して活動してきた講師ですが、青年部に伝えたいことの一つには「チャンス」がカギになると話していました。

昭和59年の第5回全国ろうあ者演劇祭典の開催、平成4年の第40回全国ろうあ者大会の開催、この二つの行事、どちらも秋田県の開催ですが、地元から猛反対された中押し切って開催したということでした。

演劇祭典は前年度開催の大阪で二桁赤字を生んだことが大きな引き金になり、秋田理事は赤字を危惧する声が多くなり猛反対。しかしこれも東北の仲間の応援によって無事成功させた。

全国大会も秋田開催を提案したら、「運動を私物化している」と批判の声。当時秋田県は東北から一歩遅れたろうあ運動をしていたということもあり、運動力を高めるためにも秋田開催を提案したそうです。結果猛反対を押し切り、協会会員も値上げして当時日本一高い会費になったものの、会費値上げの影響は予想よりも小さく、それよりも秋田大会は成功に終わったそうです。

 

最後に講師が伝えたかったこと、それは時間をもっと有効活用して、発展的な運動、そして自分自身の人生を楽しむ。この3つでした。

時間は帰ってきません。赤字をうんだ大阪の演劇祭典もタイムスリップして成功に持っていくのは無理なのです。

ろうあ者一人一人が大事にされる社会、貴重な文化である手話の言語承認、これらの実現にはもっと発展的な運動が必要ですし、その中では手話通訳制度も充実させなければいけません。

そして、なにより自分の人生を楽しむことです。聞こえないからこそ体験できるものもたくさんあります。一緒に喧嘩したり、笑い合えたりできる仲間こそ、自分の人生の糧になります。

そう、講師は告げて、この記念講演は時間を迎えました。

 

質疑応答を得て、フィナーレに入ります。

来年度2019年の討論会開催地は・・・・福島県福島市です。

福島の参加者はみんな壇上に上がり、来年の参加を呼びかけて、討論会は無事に終了。

 

そのあと角館周辺で比内地鶏の親子丼をいただき、福島からの参加者は車に二台に別れて無事福島に帰郷。秋田を午後2時ごろ出発し、福島駅についたのは午後6時半過ぎ。自宅についたのは仮眠休憩も含めて午後9時ぐらいにつきまして、無事今年の東北青研無事終了。

f:id:daichan_coda:20170818101829j:plain

 

来年は、第44回東北ろうあ青年研究討論会が福島県福島市での開催が決まり、現在福島県青年部より実行委員会の手伝いを頼まれてるとか頼まれてないとか。でもやらせていただけるのなら、やりたいですね。あ、それよりも第52回全国ろうあ青年研究討論会が秋田開催なので、また来年秋田にいきます。宜しくお願いします。

 

(おわり)

【行事参加レポートVol.5-1】第43回東北ろうあ青年研究討論会<1日目>

■第43回東北ろうあ青年研究討論会 in 秋田
=主催:東北ろうあ連盟 青年部/主管:一般社団法人秋田県聴覚障害者協会 青年部=
2017年7月8日(土)~9日(日) 秋田県仙北市 あきた芸術村温泉ゆぽぽ

 

1年ぶり!の東北青研のレポートです。

2009年に第35回東北ろうあ青年研究討論会として最後の単独開催から丸8年。2010年から2013年までの4年間は東北ろうあ者大会・東北地区手話問題研究大会の「青年のつどい」に組み込まれて併催開催となりましたが、2014年より再び単独開催に移行して今年で4回目の開催になります。

東北大会組み込みのときの開催では軒並み平均30人程度の参加でした。ただし、東日本大震災発生の2011年のみ61人として突出した参加人数となって、4年間の開催がありました。

再単独移行してからは27名、44名、46名と推移し微増傾向でしたが、今年は54名と単独移行初年の2倍の参加者になりました。

背景としては聞こえる人の参加が大幅に増えました。昨年の東北青研で聞こえる人の参加はわたし1人のみでしたが、今年は福島から6人・岩手と秋田からそれぞれ1人以上参加しました。

昨今、青年部との活動として、全通研のN-Action委員会が関係を持つようになった中、このような聞こえる人の参加者が増えることは非常に大事なことだと感じました。

 

7月8日(土)午前4時、目を覚まします。

前々から予告していた通り、交通費節約のため、自家用車で向かうことを決めていて、いわきから会場までは約6時間程度かかります。

そのため、自宅出発予定は5時45分頃で、様々な準備等を含め4時に起きました。

 

5時50分、予定より5分遅れましたが無事出発。常磐道の全線開通により仙台までは常磐道ルートのほうが近道(東北道ルートは距離が30キロ遠い代わりに時間が5分しか変わらないのと全線2車線)ですが、福島駅で福島からの参加者を拾うために東北道ルートを選択し、磐越道東北道と乗り継ぎます。

7時35分に福島県聴覚障害者情報支援センターに到着し2人、7時45分に福島駅西口に到着し2人乗せて、一路みちのくを北に突っ走り、昼食休憩を挟んで12時45分に無事会場に到着。どこかでアクシデントがあったら確実に遅刻してました。

 

無事会場着いて受付を済ませ、早速記念講演に突入します。今年も昨年に引き続き記念講演2本柱です。

今年が歴史の1ページになろうとしている背景がありますが、その中で行われた記念講演は、実にすばらしいものでした。

初日の記念講演は、一般財団法人 全日本ろうあ連盟 青年部 中央委員 田原 里絵 氏による、「青年部活動のために~情報提供施設職員と青年部員の視点から~」というテーマでご講演をいただきました。

最初は青年部の活動についてお話をいただきました。第1回全青研京都(差別青研)、そして1969年の全国青年部発足、青年部の活動3本柱(仲間づくり・学習づくり・要求づくり)について学び、軽い休憩タイムを挾み、いよいよ本題へ。

突然の話でしたが「”言葉にできる”は”武器になる”」という提案がありました。これ、すなわちどういうことか?いろいろ考えたのですが、青年部の活動3本柱にかかってるんですよね。

わたしたちが仲間を作ろうとするとき、「こんにちは、はじめまして」という言葉で始まります。そして学習するときに「ここがわかりません」という疑問から学習が成り立ちます。そのあと「ここがおかしいとおもいます」という感覚や感情を言葉にして、これまでろうあ運動を続けてきました。

つまり、「"言葉にできる"」ことは"自分を変える"ことでもあり"社会を変える"ことでもあり、"未来を変える"ことでもあると思うのです。

 

二つ目の話は、主に聴覚障害者にとって生きるために必要な”見える情報”についてのテーマでした。目で聴くテレビの職員従事を通して「当事者による情報発信」と「災害時における情報保障」がやはり重要だということを提起しました。目で聴くテレビができた背景も災害が大きなきっかけでした。

 

その後、情報提供施設についての話がありました。ろうあ運動を研究されている方はすでにわかると思いますが、情報提供施設は昔「ろうあ会館」と呼ばれ、今でも大阪の情報提供施設ではその名前が残っています。お願い運動から権利要求運動に発展した際、民法11条の改正、「口のきけないもの」文言が入った道路交通法88条/自動車運転免許取得運動、手話通訳制度化に並ぶ4本柱の活動が展開され、1990年に身体障害福祉法改正により情報提供施設の建設が法制化されます。現在に至っても北海道および広島県の2道県および仙台・さいたま・千葉・相模原・新潟・静岡・浜松・名古屋・大阪・神戸・岡山・広島・福岡・熊本の各政令指定都市にはまだ設置されていません。東北ブロックは2016年10月に秋田県で開設されたことで県レベルでの設置が完了しましたが、仙台市レベルではもちろんのこと、岩手や福島など面積が広大な県では1つだけでは不十分ともいえるなど、法制化して四半世紀を迎えても未だなお設置だけの課題があります。

多くの情報提供施設では、字幕や手話入りビデオの制作や貸出が行われており、情報提供施設の法制化もその機能がコアになっていますが、東京にある聴力障害者情報提供センターに委託し、そこで制作されたビデオが各地の情報提供施設に振り分けられて利用者に提供されるという仕組みを取っています。

東北ブロックだけでも、岩手・秋田のように駅から数分という至近距離に立地しているセンターもありますが、福島や青森のように駅からバスを乗り継いでという状況だったり、福島の場合いわきや会津からは90分以上の所要時間がかかるなど、依然利用者が使いやすいようには設置されていないケースが多く、地元自治体も”設置してなんぼ”という考えがあるところも多いです。実際のところ福島の場合は2013年に開設されましたが、所在地は元の協会事務所を拡張して設置されています。このようなケースを見ると、法制化されてもなお、依然として機能を発揮できているとは考えにくいです。

長々と垂れてしまいましたが、講演の中では機能について触れ、「手話通訳者等の派遣事業」コーディネートや、「生活保障等相談支援」のサービスの提供が行われています。

 

最後に、講師が伝えたいこととして、ICT(通信技術を使ったコミュニケーション、例:LINEやSkypeなど)およびIoT(インターネットコネクトデバイス、別名スマートデバイスとも)を使って攻めることが大事、と訴えかけてくださいました。

しかし、これらの技術はまだまだ発展途上でもあり、講師はこの点についても触れ、一つの武器として使うことを訴えかけると共に、「言葉にできる」ことも大事と改めて強調し、「あたりまえを疑うこと」から始まると締めくくり、この講演を終えました。

 

そのあと休憩をはさみ、ワークショップが行われ、テーマは「情報提供施設」とされ、求めることなどを参加者5グループに分かれて話し合いました。
聞こえるわたしは、あえて話し合いを眺めることにしか過ぎないようにしていましたが、様々な意見が出されている中で、これを要求することが改めて大事だと感じました。

 

17時に記念講演・ワークショップ関係が終了し、18時30分に始まる交流会まで自由時間になりました。

今回の部屋は4人1部屋という形で、昨年東北青研で知り合った岩手のろうの方や宮城の参加者と一緒の部屋でした。

自由時間の間、灼熱のように燃える太陽に当たり流した汗を流すために、みんなでお風呂に入り、裸のおつきあいをして、無事18時30分、交流会がスタートしました。

 

秋田名物の横手やきそばなどが振るわられ、参加者はそろって舌鼓を打っていました。

そして、ゲームが行われ、伝言ゲーム(※手話禁止)が行われ、わたしたちのチームは東北楽天ゴールデンイーグルス(東北・仙台拠点のプロ野球チーム)がテーマで、3番目のリレーラーでしたが、野球の身振りだけで肝心の「楽天」を示すものが抜かれた状態でリレーされ、ほぼほぼ全員ノックアウト。司会のヒントでやっと答えを探り出すものでした。

楽しい交流会も21時になり、強制退出になり、参加者はみんな揃ってお風呂へ。

わたしは大浴場のぬるま湯で青年部中央委員の2人といろいろな会話をして、時刻は22時。

310部屋に突入して、講師を囲んでの二次会が始まり、気が付けば24時までくっちゃべり。翌日運転を控えてるので、ほどほどにして部屋に戻り、25時ぐらい?に就寝。

 

(1日目おわり)

 

お詫び:2018年度も引き続きいわき市に残留することが決定しましたが、手話サークルの会員を更新するかどうかはちょっと決め兼ねてます。

それから、第49回全国手話通訳問題研究集会のレポートですが、頭の記憶が薄れかかってるので、間違った文言にて誤解を与えるのを防ぐためにも、現状発表しているレポートによって打ち切ります。だって、来月で1年だもん。ごめんなさい。